天使を神話やメルヘンの世界の想像の対象としてではなく、学問的研究の対象として捉えることにより、現代人の自己認識を省みるという意図の本。聖書や誰某の描く天使についてではなく、「実在の天使」を論理的に考えるという体裁になっている。
ここでの「天使」とは、可知的である、非身体的精神という、いわば非物質的知性体のことで、無生物から植物、動物、人間というアリストテレス以来のヒエラルキーの先にある、神と人間の中間的な存在のことを指す。
この天使について思考実験としての議論を深めることは、人間以下の存在との比較によって人間の特性を論じる学問一辺倒の潮流に対して一石を投じることになるのではないかという著者の意気込みがこめられている。
序章「天使とわれわれ」と、「天使の研究」「天使の存在」「天使の知」「天使の言語」「天使の愛」「天使の罪」「天使の社会」の全7章からなり、非身体的精神の諸特徴にいついて論じられている。
一般的には、そもそも天使の実在など論外と思われていることは著者の承知なので、非物質的実在は、「実証」はできなくとも、その存在は「理にかなっている」ことを示すことはできるという点をかなり念入りに説いているが、論理的に可能イコール実在とは必ずしも言えないので、ある人には所詮机上の空論と思われるだろう。
しかし、純粋な精神的存在の性質を推測し、精神的物質的存在でもある人間の特徴を考えるということ自体は面白い。精神的にしても物質的にしても、人は得てして、どちらかに偏った考え方をしやすいのだから。
もちろん、この本は神学ではないので、ユダヤ・キリスト教の考え方とは共通点もあるが差異点も多い。最大の違いは、天使の地位であろう。この天使論では、物質より精神を上に置いていて、天使は人間よりも上位の存在となっている。しかし、聖書では天使(神の使い)は人間に仕える霊(精神)であるとして、精神と物質の結合である人間の方が天使よりも上位に置かれている。ただし、天使は地位では下位でも力では人に勝るとなっているところが複雑だが。
それはともかく、非物質的知性体の話となると、私は神学よりむしろアーサーC.クラークなどのSFを連想してしまう。有機物ではなく空間構造そのものを利用した意識的存在など、完全に非物質とは言えないにしても、形を持たない生命体などが登場する世界に馴染みのある者にとっては、この「天使論」も、「超人類哲学」の序説として読めないこともないのかもしれない。