依存と自立の精神構造 「清明心」と「型」の深層心理
定価(本体6500円+税)A5判
長山 恵一(ながやま けいいち) 著
《日本生命財団出版助成図書》 ISBN4-588-18602-7
もっぱら西欧の「個」の概念およびその文化的伝統との単純な対比で論じられてきた日本的心性を、具体的な精神療法の臨床観察を通して、より普遍的な視点からとらえ直した労作。土居健郎『甘えの構造』をはじめとする日本人論を批判しつつ乗り越え、日本人の依存と自立にかかわる無意識的葛藤を「清明心」と「型」をキーワードに解明する。
以上、法政大学出版局による
著者は臨床心理家であるが、森田療法と精神分析療法を共に学び実践してきたという、珍しい人である。
筆者自身書いているように、両者は一見あまりにも異質であって、手っ取り早く西洋と日本の違いで片付けてしまいたいという誘惑に駈られるのだが、そうでなく、あくまでも臨床経験を土台としつつ、西洋のペルソナ(個人ー人格)と「澄む−あきらめる」という日本的概念を比較しつつ、差異点のみならず共通点も浮き彫りにしながら、論を進めていく。
それも、単なる理論ではなく、依存と自立という臨床の具体的な現場から離れないところが魅力である。
「甘え」やその他の日本人論の批判も、やや煩雑な感もあるがおもしろいが、私にとっては上記のペルソナとの関係の部分と、日本的「型」と知覚心理学におけるギブソンの「アフォーダンス理論」との比較が特に興味深かった。
ひとつのポイントだけ、ペルソナと「澄む」との関係についてコメントしたい。
著者によれば、西洋の「個人」なるもの−あるいは「人格」と読んでも言いと思うが−いわゆる「ペルソナ」は、キリスト教神学の三位一体論から来るといわれる。すなわち、ひとつの本質(神としての)であり且3つの「ペルソナ」(位格と訳される)が出発点だということ。
その「ペルソナ」なるラテン語に訳されたもとのギリシャ語である「ヒュポスタシス」が、液体の中の沈殿物、ひいては基礎という意味合いを持つことから、「澄む」−すなわち、にごりという混沌から、しだいに物が沈殿し、液体の部分が澄んでくる様相−と対比している。
西洋では、沈殿の方に注目し、そこから基盤−個という方向に発展していったのと対照的に、日本では上澄みの方に重点を置き、開け−清明心の方向に発展してきた。
対照的ではあるが、沈殿と上澄みは不可分なのだから、基本は共通しているという視点は興味深い。
(これはかなり乱暴なまとめ方なので、ぜひ原著を読んでいただきたい。)
このあたりユング流に観るとどうなうのか、私としては興味深いところだ。
いずれにせよ、清明心などというと、単なる日本的精神論と思われそうだが、基本的に臨床心理の線から離れないところがポイントである。
この本のもうひとつ(といってもワンセットだが)のテーマである「型」も、西洋の言語表現との関連が論じられている。
もちろん、森田療法や同じく日本産の内観療法の解説としても示唆に富むところが多い。
とにかく、内容の濃い本で、共通のテーマではあっても話題は多岐に渡るため、簡単な紹介はかえって誤解のもとになるであろう。臨床心理学や文化論に興味のある方に一読をお勧めしたい。