IPv6

インターネット上のアドレス、すなわちIPアドレスは、1983年に制定されたV4という企画で、32ビット長になっている。すると、約43億個のアドレスが可能なのだが、インターネットの普及や、単にコンピューターのみならず、家電製品や車までネットにつなげようというなると、これではとうてい足りない。(仮にコンピューターだけでも、すべての人にまでは行き渡らない。) 

この不足の問題は緊急なので、ここに、V6という新しい規格が導入されつつある。これによれば、アドレス長が64ビットになるので、実用上無尽蔵のアドレスが使えるようになる。そうすると、様々な機器がネットにつながり、例えば、携帯電話で外出先から自宅の冷蔵庫の中身を調べて足りないものを買ったり、レシピをレンジに取りこんで最適な調理をしたりということが可能になる。その他、利用法方を考え始めたらキリがないであろう。

さて、このように様々なものがネットにつながるようになると、便利さが大幅に増す反面、今まで以上にプライバシーとの兼ね合いが問題になってくる。

IPv4が主流の現在、グローバルアドレスの不足を補う意味もあって、個別のネットワーク(LAN)の内側は、そのネットワーク固有のプライベートアドレスが用いられている。そのために、グローバルアドレスを持つ端末同士を直接接続する形のテレビ電話などのコミュニケ―ションアプリケーションは、正常に動作しない場合が多い。
しかし、簡単にネットワークに入り込めないと言うことは、外部からそのネットワークのプライバシーが守られているということでもある。

それが、IPv6となって、ふんだんにグローバルアドレスが割り当てられるようになれば、どんな端末間でもやりとりができるのだから、便利であると同時に、つねに外界からの脅威に直接さらされていることになる。ならば、プライバシーを守るためのセキュリティー対策が今まで以上に重要になるわけだが、セキュリティーレベルを上げれば、アクセスに制限がかかり便利さは減ると言う根本的なジレンマは解消されることはない。

ただ、コンピューターべースの現状でもウイルスの蔓延をはじめ様々な問題が起きている以上、家電が気楽につながるようになった場合、どこまで一般ユーザーのセキュリティ意識が維持できるかは問題であろう。そして、オンラインでの商取引をはじめ、生活の隅々にまで、プライバシーが侵害される可能性が広がっているのに、大多数の人はそれに無頓着であるという状況が生まれることは容易に予想される。

聖書には、メシアの到来(再臨)の前に登場する偽メシアについて書かれているが、この人物は全人類の信仰に干渉し、従わないものは商取引できなくするという、いわば全世界のプライバシーとビジネスを恣意的にコントロールするようになるらしい。あるいは、そのような傾向を推進する勢力こそ、悪魔的な力の現れなのだということもできる。そして、インターネットの発達は、悪用されれば、そのような悪魔的な力が、前例のない規模で人類を抑圧することも可能にしている。

もちろん、今すぐにそれが可能だということではない。そもそもインターネットの普及は、一部の豊かな国に限られていて、コンピューターはおろか電気もきていない地域が地球上には多く存在している。とはいえ、歴史の流れそのものを逆転することはできない。かたちはどうであれ、今後ますます、ネットワーク化は推進され、同時にプライバシーとの兼ね合いが重要な問題になってくるのは間違いがない。

それにしても、聖書によれば、究極のプライバシーは、クレジット番号などの所謂個人情報ではない。そのようなものは大切ではあるが、仮にそれが奪われ、いわばみぐるみはがされても尚決して奪われることのないもの、すなわち、その人の本当の自分、本当のいのちこそ死守しなければならないのだ。

「たとえ人が全世界を手に入れても、まことのいのちを失ったら何の得があろうか。」(イエスのことば)