IT! (イットではありません)

IT(アイティー)IT と騒がしい。
情報技術の略だが、ほとんどインターネット利用推進の話のようだ。 学校にパソコンを設置するとか、パソコンレッスンを増やすとか、 光ファイバーケーブルを引き巡らすとか、基本的にインターネット利用環境を 整えようということである。
この面で、日本はシンガポールや韓国など、近隣アジア諸国に遅れをとっているそうで、 日本としても、うかうかしてられないという面もあるのかもしれない。

さらには、BSデジタル放送も始まり、ますます情報の流通が高度化してきた。
しかし、インフラ整備は結構であるとしても、問題は中身だ。
人に言わせれば、BSデジタルの番組は、地上波放送でおはこになったようなものばかり、 ただ「きれいな」画質で放送しているにすぎないという。
それは言い過ぎにしても、これぞデジタルと言えるようなものが出てくるまでには 長い道のりがあるのかもしれない。

インターネットにしても、光ファイバーは結構だが、その前にフレッツISDNの料金を 半額にするぐらいのことをしないと始まらないだろう。
また、接続はしたものの、期待した内容が見当たらないということで、メール交換しか していない人も多いと聞く。ここでも、中身、コンテンツが問われている。
(などと言いながら、このような駄文を書いている自分も滑稽だが・・・)

それはそうと、ここでいうコンテンツとは言うまでもなく情報である。
しかし、一番大事なのは、情報そのものではなくて、 情報が示している対象であることはいうまでもない。
また情報そのものにしても、単に視覚や聴覚によるものだけでなく、 触覚、嗅覚、味覚などによる情報も大事だ。
さらに言えば、これらの様々な情報を統合し、対象を深く認知する能力が最も重要である。 つまり、「知る」ということの内容そのものが問われているわけである。

アイティーの掛け声の中に埋没せず、また情報の洪水に押し流されることなく生活しようと いうのであれば、 「知る」というのは、単に文字、音声、映像などの情報の授受に解消されるもではないという、 あたりまえな原点に帰らなければならないであろう。
そして多様な情報を統合し、「意味」を汲み取る能力を養わなければならない。
そのためには、何よりも、内容のある「問い」を持ち、適切に問いかけ続けることが必要である。 すなわち、出来合いの「答え」をもらう、あるいは選び出す力ではなく、問う力である。
模範回答ではなく、「なぜ」である。
しかも、単に知的に、分析的に問うだけでなく、より意味深い統合をめざしての問いである。

というわけで、例えばこんな学校はどうだろう。
そこでは、試験問題は生徒が作る。問題を作るのが試験だ。
そして、その問題を解く先生を「うーん」とうならすような問題が作れたら高得点を与える。
(もちろん、小学生が大学の問題をコピーするなんていうのは最低ですよ・・)