こんにちは。としあきです。今年で私も48歳。信じられないが真実。一昔前なら超老人というところ。
以下、自分の半生を振り返ってみました。
私の出所は大阪府茨木市北部の山村で、通称「隠れキリシタンの里」として、知る人ぞ知る場所である。
戦国時代、高槻城主となったキリシタン大名、高山右近の影響で、私の先祖もキリシタンの信仰を持ち、その後、江戸幕府の禁教令のもと、弾圧を逃れるため山あいの村に住みながら、幕末のころまでその信仰を持っていたようだ。
私はそんな家系に生まれたのだが、両親も、またその両親もクリスチャンではない。生家は禅宗の一派に属し、家業は農業である。私は18歳になるまで、家の前に山あり川あり畑ありの自然環境のなかで育った。
家の近所に遊ぶ友達も少なく、高校時代の私は、影のある無口な少年であった。
やがて高校を卒業し、東京で下宿しながら大学に通うことになるのだが、大学入学という目的を達成したものの、心の中に、何かぽっかり穴のようなものがあいているのがわかった。
この空虚感を埋めたいという思いから、入学してからは、武道のクラブに所属しながら練習に励んだり、時間があれば詩作をしたりした。またこの頃に、信仰についても関心を持ち、この世の真理について知りたいという気持ちがいっぱいであった。
このような求道の気持ちがあったこともあり、創価学会や統一協会の信仰と出会ったりしたが、それぞれの組織を知れば知るほど、自分との間に違和感のようなものを感じて、それ以上深くはいっていくことはできなかった。
やがて大学卒業、そして就職という時期になったが、自分が就きたい仕事に対して充分な準備ができていなかったので、卒業後も東京に残り、語学学校に通った。
また、今後の人生についても思いをはせつつ、引き続き詩作に励んだり、音楽にも関心を持ち、ピアノや声楽を習ったりもした。
そのようにして2年の歳月が流れるのであるが、今にして思えば、その時期は親不孝この上ないものであった。
生家には全く連絡を入れず、ただひたすら自分のことしか考えていなかった、そんな2年間であったと思う。
そんな悪夢のような日々から解放されるかのように、ある日届いた「ソボキトク」の電報により、私は6年ぶりに大阪の生家に帰ってくることになる。祖母の死をきっかけに、私は徐々に自分のわがままを知らされ、長らく忘れていた故郷の自然の美しさの中に安堵感を覚え、ついに自分が育った大阪の地で仕事を見つけようと決意した。
そして更に一年間語学勉強をし、25歳の春、塾の講師として、初めて社会人となったのである。
実は、この塾との出会いが、私のその後の人生を決定付けることとなるのである。
というのは、この塾の経営者が牧師であり、職務規定として、日曜日の礼拝出席が義務づけられていたのである。
勤務当初は、義務感から礼拝に参加していたが、やがて、まわりのクリスチャンたちとの交流や特別集会での聖書の話を通して、いつしか、そこに神を真剣に求めている自分がいるのに気がついた。
その神とは、そればで自分が思い描いていた神ではなく、天地創造の神であり、聖書の神であった。またその神とは、私が捜し求める以前から私を愛し、導いておられた神であった、そして祝福と恵みを与えられる神であった。
さらにその職場でもうひとつの恵みが備えられていた。というのは、そこで伴侶となるべき女性と出会ったのである。彼女は熱心なクリスチャンであった。そして暖かい心の持ち主であった。私たちは出会ってまもなく、一年ほどしてから結婚する決意をした。
しかし、この結婚に両親や親戚は猛反対。家を継ぐ者がクリスチャンでは、親戚づきあいにいろいろな不都合があるという理由であった。それで親族会議が開かれ、長男であった私は家をでることとなった。
親戚づきあいという一点を除けば両親とて最終的には認めてくれた結婚であったことを思うと、親戚と私たちの間に挟まれ、苦渋の決断をしなければならなかった両親の心の痛みを感じ、この親不孝に自分の心もまた痛むのである。
このようにして、私たちは結婚と共に家を出て、夫婦ふたりの生活を始めることになった。信仰のゆえに選んだ私たちの質素なゼロからのスタートと思われたが、実は神は私たちに多くの恵みを備えておられた。聖書のマタイ伝6章33節にあるように、まず神の国と神の義を第一に求めようとした故の祝福であった。
驚くべきことに、私たちは大変な親不孝をしたにも関わらず、私たちの結婚後まもなく、両家より私たちの新居購入のために援助が送られてきた。このことについて、今も私たちは両家の両親に感謝している。
神の愛と恵みを豊かに注がれ、やがて結婚の翌年、4月の復活祭の時に洗礼を受けることになる。
洗礼の時、牧師の手を通して洗礼の水が私の頭に触れたとき、私はイエス様ご自身が私の頭に直接触れてくださり、「あなたの罪は赦された。」とおっしゃっているように感じ、突然涙が溢れ泣き続けた。神が私の心の中に、はっきりと、そして確実に入ってきた瞬間であった。
結婚後3年間、子供が与えられなかったが、神の導きをとおして出会った宣教師一家の篤い祈りを通し、妻は身ごもり、無事長女を出産することができた。また、2年後には次女も与えられ、私たちは神の恵みの大きさに感謝している。
今は、月1〜2回の教会学校の奉仕を楽しみにさせていただいている。さらに最近は、月に一度は生家に帰り、両親を手伝い汗を流すことにしている。年老いた両親に、少しでも親孝行したいと思う今日このごろである。