礼拝メッセージ要約
2025年12月7日「しゅうとめの癒し」
マルコ福音書1章
29 イエスは会堂を出るとすぐに、ヤコブとヨハネを連れて、シモンとアンデレの家にはいられた。
30 ところが、シモンのしゅうとめが熱病で床に着いていたので、人々はさっそく彼女のことをイエスに知らせた。
31 イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。
32 夕方になった。日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのもとに連れて来た。
33 こうして町中の者が戸口に集まって来た。
34 イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をお直しになり、また多くの悪霊を追い出された。そして悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。
イエス様は、会堂で権威を持って教えられると共に、悪霊を追い出されました。すると、その評判はまたたくまに広まりました。イエス様は会堂を去ると「すぐに」シモン(ぺテロ)の家に行きました。ここでも「すぐに」とあるように、それが神の導きであることが強調されています。この「会堂」から「個人の家」へという順番には意味があるでしょう。ここで福音はまず会堂で告知されると、そこから社会一般に宣伝されるのではなく、個人の家に向かいます。しかも弟子のひとりの家です。これは象徴的な出来事です。弟子となった人たちは、自分の家も家業も捨てて弟子になったように見えます。しかし、前回も触れたように、彼らは出家したわけではありません。バプテスマのヨハネのような、荒野で神のことばを宣告するスタイルではなく、この社会のただ中で、神の国の訪れを伝えているのです。ただし、その「社会」とは、無名の人々の集団ではなく、具体的な一人ひとりが生きている場です。そして、その集団の最小単位として家族があるのは言うまでもありません。
イエス様がその家に行ってみると、シモンペテロのしゅうとめが熱病で床に着いていました。シモンの家があったカぺナウムは、イエス様の宣教にとって重要な地でした。一説では、シモンの家を拠点にしていたとも言われています。詳細はわかりませんが、イエス様とシモンの家族にはつながりがあったことが伺われます。ここに、シモンのしゅうとめが登場することから、シモンペテロは結婚していたことが分かります。ペテロの妻については福音書には何も書かれていません。しかし、コリント人への第一の手紙九章五節から、イエス様の復活後には、夫と共に世界の各地で宣教の旅をしていたことがわかります。後に、多くの女性がイエス様に従って仕えるようになりましたが、ペテロの妻もその一人でした。まずはカぺナウムでのイエス様の宣教の現場で仕え、また夫が宣教の旅で出ているときも家を守りました。後には、危険も顧みずエルサレムに移り、さらには世界宣教にまで付き添ったのです。神の国は、無名でありながらも多くの奉仕をした人々によって拡がっていったことが伺われます。
イエス様がペテロのしゅうとめを癒されたことについては、他の福音書では、イエス様は熱が引くように命じられたと書いてあります。悪霊の場合もそうでしたが、イエス様は、ご自身の「ことば」の権威を現すという形で、癒しを行われます。しかし、マルコでは手をとって起こされたと記されています。もちろん、ことばもかけられたのでしょうが、「起こす」というキーワードに焦点があるのかもしれません。この「起こす」は後に「復活」という意味でも使われる言葉です。この箇所では熱病からの癒しでしたが、イエス様の神髄は「ヒーラー(癒し手)」以上に「復活の主」であり、人々を復活に導くお方だということにあります。ですから、ここでの癒しも、その復活の予兆として見ることができるでしょう。
癒されたしゅうとめは彼ら(イエス様一行)をもてなしたとあります。この「もてなす」とは「仕える」という意味の言葉です。この「仕える」もマルコ福音書のキーワードのひとつです。後にイエス様はご自身について、「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために来た」と言われます。神の国では、癒しや解放はそれで終わるのではなく、仕えるものと変えられる、いわゆる「変容」が起こります。すなわち、主の姿に変えられるという出来事です。ペテロのしゅうとめが癒されて仕えたのも、このことの現われであると言えます。この「仕える」ことは、もちろん、主従関係のもとで、従の者が主に一方的に行うことではありません。イエス様ご自身が仕える者である以上当然のことです。しかし、このことはしばしば忘れられ、神の国(支配)ではない、人の支配が神の名のもとに行われることがあります。ですから、「仕える」ことは「仕え合う」共同体のあり方であることを忘れてはなりません。
マルコはこの出来事に続いて、多くの人が戸口に集まったと記しています。イエス様は会堂を去ってすぐにペテロの家に行かれたとありますから、しゅうとめの癒しは安息日の午後になされたのでしょう。そして日が沈むと多くの人がやってきました。日が沈んだというのは安息日が終わったということです。人々は自由に動き回れるようになったのです。癒しの噂はあっという間に広がったのでしょう。しかし、彼らは安息日の規定を守っていたので、それが明けるまで待っていました。そもそも律法では、安息日の癒し行為は、緊急の場合を除いて禁止されていました。(癒しも労働だからです)。ですから、しゅうとめの癒し自体も問題だったでしょう。(この「安息日の癒し」は今後なんども登場します)。ただ、それは家の中で起こった事だったので、大きな問題にはなりませんでした。とは言え、すでに神の国がこの家に訪れていたことが、しゅうとめの癒しで分かります。そして、それが「律法からの卒業」でもあることが示されています。そのような家に中との対比として、家の外の人々の姿が描かれています。すなわち、彼らはまだ律法の世界に住んでいたのです。しかし、神の国に引き寄せられて、ペテロの家にまでやってきました。そして、まだ中に入ることはできませんでしたが、戸口には留まることができたのです。
この戸口にて、多くの人たちが癒され、また悪霊から解放されました。そして、会堂での出来事と同じように、悪霊がものを言うのを禁じられました。つまり、会堂での出来事が家の中に進み、そして社会へと拡がっている構図が描かれています。そして、その過程で、宣教とことばに伴って癒しと解放の業が行われてきました。ここで悪霊追放と癒しについて整理しておきましょう。悪霊について当時どのように理解されていたかについては前回学びました。そのような理解を現代でも全く同じ形で保持している人たちもいます。それに対して、悪霊現象を精神医学的に解釈する人もいます。実際、悪霊現象の多くは、ある種の精神疾患との関連が疑われます。ただ、現代の精神医学ですべての事象が説明できるわけではありません。同じ事象でも、それをどう解釈するのかは一概には決められないなのです。ただし、解釈以上に問題となるのは対処方法でしょう。古代からの祈祷的な対応をするのか現代医学を活用するのかという選択は常に存在します。そしてそれは、いわゆる悪霊現象に限ったここではなく、一般の病気の場合も同じです。
その意味では、実質的に癒しとの区別は重要ではなく、いずれにしても身体的、精神的な苦からの解放ということになります。そして、どちらの場合にも、そのような解放に加えて社会的な制約からの解放という側面が加わります。病気の場合も「けがれ」との関連が生じますし、ある種の悪霊憑きに対しては身体拘束までなされていましたから。ですから、福音による「解放」とは、身体、精神、社会にまで及ぶ全面的なものなのです。そして、この解放は、単に古い状態からの解放に留まらず、新しい状態を作り出します。まずは、シモンのしゅうとめに見られる「仕える者」への変容ですが、それが、個人のことに留まらず、拡大していきます。そこに、新しい共同体が生まれ、その共同体を通して、社会全体に広がっていくのです。すなわち、神の国の実現です。ただし、その中心はキリスト、しかも十字架のキリストです。福音書では、その十字架に向かって話が進行していくのです。