礼拝メッセージ要約

2025年9月14日 「西方へ」

 

ローマ書15

22 そういうわけで、私は、あなたがたのところに行くのを幾度も妨げられましたが、

 23 今は、もうこの地方には私の働くべき所がなくなりましたし、また、イスパニヤに行くばあいは、あなたがたのところに立ち寄ることを多年希望していましたので、 

24 ――というのは、途中あなたがたに会い、まず、しばらくの間あなたがたとともにいて心を満たされてから、あなたがたに送られ、そこへ行きたいと望んでいるからです。―― 

25 ですが、今は、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ行こうとしています。 

26 それは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。

27 彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。 

28 それで、私はこのことを済ませ、彼らにこの実を確かに渡してから、あなたがたのところを通ってイスパニヤに行くことにします。 29 あなたがたのところに行くときは、キリストの満ちあふれる祝福をもって行くことと信じています。

30 兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。 

31 私がユダヤにいる不信仰な人々から救い出され、またエルサレムに対する私の奉仕が聖徒たちに受け入れられるものとなりますように。 32 その結果として、神のみこころにより、喜びをもってあなたがたのところへ行き、あなたがたの中で、ともにいこいを得ることができますように。 

33 どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。

 

パウロは今後の予定を述べています。まずローマに行く理由として、彼らに霊的な祝福を持っていくことがあります。その上で、最終的にはイスパニヤ(スペイン)まで宣教に行くことを予定しています。ただし、その前に、一旦エルサレムに行く必要があるとも言っています。まず、スペイン行きの件について読みます。

 

パウロは常に新しい地域に福音を伝えることを使命としていました。彼の活動が、いわゆる「世界宣教」の大きな柱となったのは周知の事実です。彼は、イスラエルから現代ではレバノンやトルコといった中東地域を通って、ギリシャまで宣教を進めていました。そして、ギリシャからローマ(イタリア)はもう一歩です。スペインはさらにその先にあります。おそらくパウロは、まずローマに寄って、そこをスペイン宣教への新たな起点とするつもりだったのでしょう。

 

周知のとおり、現実の歴史はパウロの予想とは異なり、彼はエルサレムで捕らえられ、囚人としてローマに送られました。その後の消息は曖昧ですが、一般的にはローマで殉教したと言われています。ローマで一旦釈放されスペインに行き、ローマに戻った際に処刑されたという説もありますが、確かなことはわかりません。いずれにしてもパウロの視野がローマ帝国であったことは明らかです。ローマ書を書いている時点で、彼は帝国の東半分に宣教をしたので、ローマ以西に進みたいと言っているのです。

 

このパウロによる西方への宣教は、聖書に記録されていることもあり、キリスト教拡大の歴史そのものと思われることがあります。実際、後にローマ帝国の国教にまでなったのですから、そのような面があることは否定できません。ただし、福音宣教それ自体は、西にばかり向かっていたわけではありません。当然東方にも拡がっていきました。それはペルシャからインドにまで及んでいました。その一部であるネストリウス派と呼ばれる人たちは中国にまで行き、そこでは景教と呼ばれ一時は繁栄したこともあったのです。ただし、この東方への拡がりは様々な理由で縮小し、現在ではごく少数の集団が残っているのみです。またその形態もかなり変質しています。

このような東方への展開は、「西側」からは通常無視されます。西側が現代まで形式的とは言えキリスト教の形を維持してきたのに対し、「東側」は、そもそもネストリウスが異端扱いされたことから始まり、他宗教と混じりあい変質してしまったからでしょう。しかし、福音の視点から言えば、西側地域の宗教や習俗と融合し発展してきたのですから、西側が正当で東側は異端だとの判断は一方的でしょう。因みに、ここでの「西側」というのは、当時のローマ帝国から発展してきたキリスト教のことで、ローマカトリック、プロテスタント、正教(ギリシャやロシア等)を指します。要するに、現代で一般的にキリスト教文化圏と呼ばれる地域です。この西側の3者の間でさえ、大きな違いがあるのですから、キリスト教を一つの「正統」で片づけることはできません。それはむしろダイナミックで多彩な諸活動の総称と言うべきでしょう。問われるのは、そこに聖霊の働きがあるかどうかです。それを律法(宗教形態)の観点から断定することは不可能です。パウロが言うように、「御霊のことは御霊によってわきまえることだからです」(第一コリント2:14)。これは日本にもかかわることです。西洋から来たキリスト教という外見だけで判断することはできません。

 

23節でパウロは、それまでの宣教地での役割は終えたと言っています。帝国の東半分での宣教自体はもちろん続いていくのですが、彼自身の「開拓者」としての働きは十分に果たされたということでしょう。そのような判断も、「その地の何パーセントがクリスチャンになったか」とか、「教会組織がどこまで大きくなったか」というような外形的な観点からはできません。ただパウロが次に進むようにとの、聖霊の促しを受けたとしか言えません。このような、「旅」の人生は、アブラハムのそれを想起させます。彼の旅もまた、信仰による歩みでした。規定のレールの上を走るのではなく、神の導きのもとで未知の世界へ進んでいく歩みです。信仰のお手本をアブラハムに見るパウロも同様に旅を続けるのです。ただし、アブラハムの場合のような単なる土地(約束の地)を目指してではなく、すでに約束のメシヤが来られたという福音を携えて、天を故郷としる者として歩むのです。

 

さて、パウロはスペインの前にエルサレムに行くことを予定しています。そこにいる聖徒たちのうちの貧しい人たちを物質的に支援するためです。(これは、聖徒の中の貧者とも貧者と呼ばれる聖徒たちとも読めます)。ユダヤ人と異邦人の一致はパウロは悲願であり、ローマ書の主要テーマでもあります。それは基本的には霊的な一致ですが、霊的であることは物質的なことを排除しません。キリスト者全体がキリストのからだである以上、それは当然のことでしょう。ですから各地のキリスト者が喜んで醵金しました。それはあくまでも自発的なものでしたが、同時にそれは義務でもあるとパウロは言います。自発と義務は反対のようにも見えますが、義務を命令と考え、自分の心情に反してでも従うというイメージがあるからでしょう。しかし彼らは、義務であることに納得した上で、積極的に応じたのかもしれませんし、あるいは、義務などとは思いもせず、「自然に」行ったのかもしれません。パウロの論点は、律法的な意味での義務ではなく、異邦人がユダヤ人から霊的なものを受けたという事実です。11章で、栽培種のオリーブ(イスラエル)に野生種のオリーブ(異邦人)が接ぎ木されたと語っています。それは異邦人が誤って思い上がることがないようにという警告でもありました。残念なことにこの警告は長年無視されました。反ユダヤ主義とそれに対抗する律法主義の両者が今も続いています。これは、単なる献金や支援の問題ではなく、福音の根幹にかかわることなのです。

 

最後に、パウロはエルサレム行きが困難で重大であることを意識し、ローマの信徒たちに切なる祈りのお願いしています。ユダヤ人と異邦人の一致という究極のテーマを実現するためです。そのすべての上に平和の神が働いてくださいますようにとの祈りで、この箇所を閉じます。