メッセージ要約
「苦難の中のイースター」
ヨブ記19章21〜29節
今年は4月12日がイースター(カトリックとプロテスタントの復活祭。正教は別日)です。
キリスト教では一年で最も重要とされる記念日ですが、大半の教会、それも全世界の教会が集会を自粛しているというのはきわめて異例な事態です。
もちろん集会が持てないこと以前に、多くの人々がすでに苦しんでおり、
日本もこれからますます苦しみが増すであろうことを考えると、主の憐みを切望せざるを得ません。
ヨブ記は苦難の中にいるヨブと、彼を責め立てる友人たちとの激しい議論がその中心です。ヨブの基本的な主張はこうです。
自分は神の前で潔白である。それなのに神は自分を苦しめておられる。
それに対して友人は言います。
ヨブは自分を正しいとしているが大きな間違いである。神は善人は祝福し、悪人を懲らしめるのだ。
単純化すれば、ヨブは自分の苦難を不条理だと主張し、友人は因果応報であると主張しているということです。
どちらの主張の方が正しいのでしょうか?
ヨブ記では、ヨブと友人たちとの激論を挟んで、初めに苦難が始まった経緯とヨブが癒されて祝福を受ける後日談が書かれています。
始まりとは、神とサタンとのやり取りであり、ヨブは最後まで知る事のなかった話です。
後日談とは、ヨブが自分を責めた友人たちのために祈ると、ヨブは失ったものの倍の祝福を受けたというものです(ただし失った子については同数)。
神はヨブが正しく友人たちが間違っていると言われています。もちろんヨブが完全に正しい人だったということではないでしょう。
神がヨブに対して嵐の中から厳しく答えておられます。人が神にたいして大きなことが言えるのかということです。
ただし神はこの苦難の原因、すなわちサタンとのやりとりについては何も説明していません。つまり、この苦難は、ヨブにとっては終始不条理のままだったのです。
当然ですが、世の中には因果応報の苦しみもたくさんあります。というより、人が自らの欲や愚かさのために招く苦難の方が多いのかもしれません。
しかし同時にそこには不条理な苦しみもあるのです。今回の疫病や大規模災害が拡大する背景には人為的な要素があります。
しかしそれは、そこで苦しむ人々にとっては不条理としか言えないものでもあります。
もちろんこれは、大規模は出来事に限ることではなく、個人的な苦難についても言えることです
このような苦難のただ中でヨブは重要な告白をします。19章25節から27節は、旧約聖書の中での復活信仰を表す重要な箇所です。
「私をあがなう方(私の弁護人、あるいは連帯保証人としての神)は生きておられ、
後の日(将来あるいはメシア到来の日)にちりの上(地上、あるいは黄泉の上)に立たれる。
そして、私は自分の目でそれを見るのだ」とヨブは告白しています。
この箇所はヨブが地上で生きている間に体験する将来の祝福と解釈することもできますが、しかし、「自分の目」で「あがない主」を見るのはまだ未来のことですから、
やはりここはメシアを待望しているヨブが、その「絶え入るばかりの内なる思い」を告白していると読むべきでしょう。
ですから、この「あがない主」は、不条理な苦難の中にある人々、破産して将来を失ったような人々に代わって負債を払い、弁護してくださるお方のことです。
しかも、そのようなお方が単に存在しているだけでなく、そのお方を自分の目で必ず見ることができるという強い思い、
それが地上のこの生涯を越えて「後の日」にまで続く復活信仰へとなっていくのです。
このように、「復活信仰」というのは、いわゆる単なる「霊魂不滅」のことではなく、
不条理な苦難の中から湧き上がってくるメシアへの期待、私を弁護してくださる神への切望からくるものです。
もちろん、私たちの苦難は、不条理なものてあると同時に、因果応報のもの、自ら招いたもの、すなわち罪の結果でもあります。
ですから、あがない主は、まず十字架の死で私たちの支払うべき罪の負債を払われました。
罪が赦された者にとっては、苦難は不条理なものです。
そのような者を弁護し義と認めてくださるお方、それが、復活されたあがない主キリストであり、弁護者・パラクレートスなる聖霊です。
私たちは、この復活され、後の日に地上に立たれるキリストを信じ待望しているものです。
そして、かの日には私たちも復活し、塵の上に立ち上がり、主を自分の目で見ることになるのです。
<考察>
1. ヨブの友人たちは、最初はヨブのお見舞いに来たのでした。それが、なぜヨブを責めるようになってしまったのでしょうか?
2. ヨブはなぜ自分は潔癖だと思っていたのでしょうか?
3. 現在の「新型コロナウイルス問題」で、因果応報の要素と不条理の要素はどのようなものがあるでしょうか?
4. 自分にとって「不条理」と思うのはどんなことでしょうか?
5. 神とサタンとのやりとりをヨブは知りませんでした。すべての不条理の背後には、同じような神とサタンとのやりとりがあるのでしょうか?
6. 神はなぜヨブに対して、ご自分の創造者としての力を語るだけだったのでしょうか?
7. 神はなぜヨブに、友人のために祈らせてからヨブを祝福したのでしょうか?