Let It Go

今年前半の最大のヒット映画と言えば「アナと雪の女王」、そしてその劇中歌「Let It Go」もブレークした。しかも、日本だけでなく世界の色々な所でもはやったらしい。
というわけで、遅ればせながら歌を聴いてみた。

日本語バージョンは、今まで自信のなかった女の子が、自分を好きになって、もっと素直に生きていこうというような、やや可愛らしい話になっているが、原曲はだいぶ様子が違う。
一言で言えば、ぶっちぎれて引きこもる決意表明の歌だ。その意味では、教育上よろしくない歌だとも言える。ただ、それだけで片付けてしまうのは勿体無いので、もう少し細かく見てみよう。

まず、タイトルの「Let It Go」の意味だが、辞書的には、「あきらめろ。/放っておけ。/どうでもいいことです。/離せ!」といったことらしい。日本語タイトル「ありのままで」よりは強い感じのことばだ。自分の特殊な能力(凍らせる力)を隠してきたが、これからはもう隠さない、という話だから、「ありのままで」でもいいのだが、英語のほうはもっと能動的だ。

足跡もすべてかき消された氷雪の山。隔絶された王国で女王のようである「私」。そこで唸っている風は、心の内に渦巻いている「嵐」のようだ。このように始まる歌のキーワードは「内なる嵐」である。
この「嵐」を人に知られないように生きてきた「私」、世間の規範にそった「よい子」でなければならないと、人からも言われ、また自分自身にも言い聞かせてきた「私」、しかし、もうこれ以上、そのような状態は維持できない。今こそ「Let It Go」の時だ。だから、「Let It Go」とは、「今までのことはどうでもいい」「人が言うことは放っておけ、気にするな」ということであり、さらに、その「内なる嵐」を解き放てという意味である。

続けて2番の歌詞。今までの国に背を向け旅立った(引き篭もった)女王は、この新たな氷雪の世界で何をするのか? それは、「今こそ、自分に何ができるかを見、限界を試し、それを克服していくこと」であり、そこにはもはや「善も悪のなく、自分を縛るルールなどない」、まさに「私は自由である」! そのような世界。 「私はここに立ち、ここに住む!」のである。

ここにいたって、あのニーチェを連想する人も多いのではないだろうか。最後のサビでは、「私は夜明けの輝きのように立ち上がり」「真昼の光の中で立つ」のである。まさに、「曙光」「善悪の彼岸」であり「超人の誕生」である。彼の言う「精神の三様」、すなわち、「汝なすべし」の重荷を背負う駱駝が、それに対して「否」を言い、「我欲す」であるところの「獅子」へと変化する。さらにその獅子は「然り」であり自由である「小児」へと変化する。

「良い娘であれ!」という重荷を背負ってきた彼女は、それまでの歩みに決然と否!と叫び、獅子となって立ち上がった。そればかりでなく、女王は今や「風と空と一体」となって氷雪の世界を自由に飛び回り、新しい王国を創造していくのである。もはやだれも「私が泣くのを見ることはない」、絶対肯定の世界の始まりである。

そしてキメ台詞、「The cold never bothered me anyway! 」日本語版では「少しも寒くないわ」だが、細かいことを言えば、寒くないのではなく、「寒さ(冷たさ)など、どうせ今までだって気にしなかったのだから」というような感じであろう。今までは内側に閉じ込めていた氷の世界がこれからは外側に広がっていく。「それが何か?」という、よく言えば「絶対肯定」であり、悪くいえば、単なる居直りである。

かくして、勇ましく誕生した「女ツァラツストラ」ならぬ雪の女王だが、はたして彼女は「超人」となれたのか? 残念ながらそうではない。この歌のシーンはまだ映画の前半であって、これから、この引き篭もった女王である姉を探す妹のアナの旅が始まるのだ。歌にもあるとおり、女王の新しい王国は「隔絶された王国」であり、ツァラツストラは山を下りられない。

雪と氷の女王は、超人と同時に、ダンテの神曲に登場するサタンをも連想させる。そこでサタンは地獄の最下層で胸まで氷漬けになっている。6つの翼があるのだが、それを羽ばたかせるたびに、飛翔するどころか新たな氷ができて自身を埋めていく。隔絶した王国は実は地獄だったのだろうか?

たしかに彼女が真の女王になるためには、決定的なものが足りないのだ。(ここからは、歌以降の話し) それは、アメリカ映画らしく(?)、単刀直入に「真実の愛」だと言われる。もちろん、「真実の愛」をまず必要としたのは、致命傷を負った妹なのだが、そのアナが自分のいのちを顧みず姉を助けようとした時、女王は救われる。まさに「いのちをも惜しまぬ愛」が救いをもたらすという、ニーチェが激怒しそうなキリスト教的展開となる。この映画のテーマは「恐れと愛の対比」だそうだが、聖書の「愛は恐れを締め出す」ということばそのものだ。救われた女王は、「内なる嵐」を恐れによってはコントロールできなかったが、今や愛によって、真に創造的な力として用いていくことができる。彼女は真の女王となったのである。

結局「ありのまま」だけではだめだというお話でした。