ユダヤ人教会と異邦人教会の伝統の比較

初代教会(ユダヤ教ナザレ派)
今日のメシアニック・ユダヤ教
  ローマ・カトリック教・欧米プロテスタント教など異邦人教会
モーセ律法の通り、週の第7日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)
文字通り安息日で、仕事を一切しない。

金曜日の夕食と土曜日の日没時が家庭礼拝
土曜日の昼はシナゴーグでの礼拝がある。

以上は、一般のユダヤ人と共通である。

メシアニック(イエスをメシアと信じる人)は、さらに安息日の終了後、週の初めの日(土曜日の晩)に晩餐をひらく。

ローマ教会によって、日曜日の朝に移された。以来、日曜日が安息日であると考える人もいる。

ただし、聖書的には日曜日は安息日ではないので、日曜日を聖日、あるいは主の日として区別し、あくまで礼拝の日と位置付けている人が多い。

(プロテスタントのごく一部の人たちは土曜日安息日を採用している。)

モーセ律法にある数々の「水の洗い」

手の洗い、足の洗い、全身の洗い、そのた衣服や器の洗いなどいろいろある。

さらに、異邦人がユダヤ人になる時の「洗い」を受け継いで、メシアを受け入れた時に受ける「洗い」

自然の流れている水(生ける水)、あるいは、それを引き入れた「ミクバ」に、証人の立会いのもと、自ら、屈むようなかたちで、通常3回水の中に沈む。

もちろん、水の洗いは、聖霊の洗いの象徴であり、あくまでも本体は聖霊の洗いである。

イエスを信じる者が受けるが、幼児洗礼もある。

位置付けとしては、

−教会員としての加入式(幼児の場合など)
−聖霊のバプテスマの目に見える形として
−聖霊のバプテスマとは別の、信仰告白の儀式
などがある。

方法としては、
滴礼(水をたらすこと)、浸礼(水に全身浸かること…通常、洗礼を施す人が、受ける人の背をささえながら、あお向けに水に浸かる)などがある。

もちろん、大事なのは聖霊である。

安息日終了後の晩餐(土曜日)

「パンを裂く」というのは、交わりの食事のことで、単なる儀式ではない。

この晩餐において、いわゆる「最後の晩餐」を覚え、また、過ぎ越しの食事をも想起しつつ、主の受難を記念し、再臨を待望する。

また、過ぎ越しの祭りの時には、伝統的な過ぎ越しの食事に、メシアニックな意味合いを明確に持たせた食事が行われる。

日曜礼拝の一部

カトリックにおいては、文字通り、キリストのからだを「食べる」儀式。

プロテスタントでは、主の死を記念する儀式。

通常、教会員、あるいは信者と見なされる人だけが与れる儀式である。

元来の晩餐という側面は分離され、別に「愛餐会」などのかたちで、交わりの食事が持たれることが多い。

モーセ律法のとおり

(安息日、過ぎ越し、7週、仮庵など主の例祭)

 

カトリック暦、プロテスタント暦など

中心は日曜日、クリスマス、イースターなど

タナハ(律法、預言書、諸文書)及び

新約諸文書

タナハを、年代順やその他の観点から再配置した、いわゆる「旧約」と新約諸文書

ただし、カトリックはさらに「続編」(アプクリファ)もそれに加える。

(これは、非常におおまかな比較であり、実際には、さまざまなバリエーションがある。)

注1:以上の違いは、救いとは関係の無い「伝統」に属する。ただし、左、すなわちユダヤ人の伝統が概ね聖書に基づいているのに対して、異邦人教会のものは、西洋の宣教における「文脈化」の結果と言える。

注2:ユダヤ人でも「右」−異邦人教会の伝統を受け入れている、「ユダヤ人クリスチャン」もいる。
また、反対に異邦人で「左」の伝統を多く受け入れている、「メシアニック異邦人」もいる。