「ハケンの品格」〜大前春子と聖書(6)

 

今回はスーパーハケンの初めての失敗を扱います。冒頭地震が起こりますが、春子はそれを予知し、相変わらず超人ぶりを見せます。しかし、ここでは春子の能力よりも、むしろこれから起きる大事件、つまり春子の失敗という出来事を予告するかのような不吉な感じが漂っています。

同時に、森ちゃんが自分を守ってくれた賢ちゃんに惹かれるシーンも、「恋」というテーマを演出しています。「恋」は副テーマではありますが、恋愛ドラマのような主要な要素というよりも、友情と共に「人情」を表しているものと考えられます。また、地震さわぎの後で春子がなぜ残業をしないのかを語りますが、この残業も今回の大切な要素です。

 

さて、今回は、シルスマリオというチョコレートのバレンタイン販売イベントが舞台です。イベントには応援で複数のハケンが来ますが、ハケンはどうせ使い捨てのもので35歳にもなれば仕事もほとんどなくなると考えています。「社員」と同じ現状認識だといえるでしょう。

そのうちの一人で、「ウグイス嬢」役のハケンが、賢ちゃんに一目ぼれして告白するのですが断られてしまいます。「社員」と「ハケン」という二項対立は乗り越えられるのかというのがメインテーマですが、「恋」がその役割を果たすのでしょうか。告白したハケンは失恋のショックで仕事をやめてしまい、急遽春子がウグイス嬢を担当することになります。

 

春子は過去に代議士を当選させたウグイス嬢の実力を発揮し、客が大挙して押し寄せたため、予定よりはやく6時には完売します。くるくるパーマ(東海林主任)はシルスマリオの社長に翌日分は増産するように要請します。社長は出産のために里帰りしてる娘まで動員して作っているのだから増産できないと断わるものの、結局東海林らも手伝い増産します。

 

2日目も前日同様春子はウグイス嬢をしますが、東海林の原稿の一部を省いたことから喧嘩になります。控室に行ってからも喧嘩は続きますが、なんとマイクのスイッチが入ったままだったので、東海林と春子を言い争いが全部外部にもれてしまいます。春子はバレンタインの義理チョコは全くの無駄だといい、東海林は反対に義理チョコは人間関係の潤滑油だと主張します。春子は福利厚生もないハケンに義理チョコを要求するなどふざけている、ハケンはもてない社員の癒し係ではないと吐き捨てるという案配です。

このやりとりを聞いていた外部の多くの人たち、そこには大勢のハケンもいたのですが、春子の正論を聞いて、義理チョコの無駄を感じ、客はチョコを買わず、あるいは返品して皆帰ってしまいます。その結果、チョコは大量に売れ残ってしまうのです。

 

この結果に当然社長は激怒。東海林は土下座しに社長のもとに向かいますが、なんと春子も自分から同行します。自分の失敗から初めての残業を余儀なくさせれてしまうのです。残業しない。義理チョコなどしない。自分は自分を通してきた春子の初めての挫折です。しかし、この失敗は直接的にはマイクをスイッチを切らなかったことですが、そもそも隠れていた問題がマイクを通して表面化したのだと言えるでしょう。

問題は春子の内部にあります。すなわち、ハケンの任務として義理チョコでも売らなければならないという使命と、義理チョコほど無駄なものはないというハケンとしての正論との間の矛盾です。義理チョコなど無用なハケンが義理チョコを売るという自己矛盾は、結局社員が抱える自己矛盾と共通するものです。ハケンがスーパーハケンにまでなると、正社員のようになるというのは皮肉なことです。

前回、個の論理と集団の論理という軸では問題を解決できないのを見ましたが、今回の春子は会社という集団ではなくてもハケンという規範を持っているがゆえに、その規範が規範から自由な立場であるはずのハケンの在り方そのものを危機にさらすという高度な自己矛盾に陥っているのです。

 

前回同様、この規範は聖書では律法です。パウロは律法を外形的な規律としてではなく、内面を支配している、いわば内在化した規範と捉えています。自分の肉(生まれつきの性質)の中には、「異なった律法」があり、自分はしたいことができずしたくないことをしていると言います。「むさぼるな」という神の律法を用いて、内なる罪の律法はますます悪質なむさぼりを生じさせるのです。律法の鬼となったパウロは律法によって律法に死ななければなりませんでしたが、ハケンの鬼である春子もハケンの在り方を追求すればハケンの死を経験しなければなりません。

 

残業はハケンの死ですが、春子は社長のところで、急に産気づいた社長の娘の出産を助産師として助け、社長から認められます。「ハケンの死」の後に赤ちゃんが産まれるのは象徴的です。会社とハケン、規律と自由といった二項対立はそのままで調和させることはできませんが、その狭間での死の向こうに新しい生命がある。まさに死んで生きるのです。

 

春子のその後、主任の命令にしたがって会社に戻ります。するとそこでは主任の発案で春子の誕生日パーティーが用意されています。春子は当然のごとく反発します。主任に向かって、おせっかいは気持ち悪い。人の気持ちがわかってやっているのか。そんなことだから営業部から外されるのだ等と、散々悪態をつきます。誕生カードももらいますが、それを業務時間に作ったことまで非難し去っていってしまいます。あくまでハケンの立場を貫こうとするのです。

しかし、バス停で帰宅のバスを待つ春子はそのカードを取り出します。皆からのメッセージを読む春子の目からは涙が溢れています。ハケンの自己矛盾、これは律法の問題なのですが、はたしてそれを乗り越えるのは「愛」なのでしょうか?