プリムの祭りにちなんで

 

ユダヤでは、プリムの祭りに際して、4つのミツバ(戒め)を実行することが求められています。(ちなみに1998年のプリムは、3月12日からです。)

1.エステル記全文の朗読(を聞くこと)

一語ももらさず聞かなければなりません。ただし、宿敵ハマンの名が読まれるところでは、ある種の「がらがら」のようなもので騒音をたて、名を消し去るという、おもしろい習慣があります。

2.同胞に贈り物をすること

エステル記の出来事以来行われていることで、ユダヤ民族の団結と勝利を記念して、贈り物をかわします。

ただ、特徴的なのは、贈り物を、普段なじみのない人や、場合によっては仲の良くない相手にも贈るということです。これは、たんなる儀礼的な贈り物ではなく、全ユダヤ民族の一致団結を強めるという目的があるからです。

3.貧しい人々に施しをすること

このミツバは、プリムの期間に限らず、常に大事なものですが、特にこの時には、自分の手で直接分け与えることが求められています。(つまり、ただ慈善事業に寄付するだけではだめだということです。)

愛の具体的な実践が求められているということでしょう。

4.祝宴を開いて酒をのむこと

これは、一番議論の的となっているミツバです。なぜなら、ユダヤ人においては、飲酒は認められているもの、酔う事はきびしく戒められているからです。にもかかわらず、プリムの祭りの日にだけは、酔うまで飲んでもいいという意見があるのです。

しかし、これは、酔うことそのものよりも、それによって本音が表れることが大事だということのようです。しかも、その本音とは、外に表れるにふさわしい、良い本音でなくてはならない。すなわち、日ごろは隠れている内側の美徳があらわれるのでなければならないとも言われています。

(そうなると、だれも堂々と酔っ払える人はいなくなるのではないかと思いますが。)


その他、ミツバではありませんが、プリムは、ユダヤ人には珍しく、仮装行列まで登場して、かなり派手な祭りになります。一見、所詮ユダヤ人も異邦人のように、どんちゃんさわぎをしたいだけなのかと思われますが、実は、背後にあるのは、「隠れた神のわざ」というテーマです。

というのは、エステル記は、聖書の中で唯一、「神」ということばの出てこない書です。まるで、すべては時の流れのまま、いわば偶然に起こっていくかのようです。実際、プリムとは、「くじ」のことで、ハマンがユダヤ人虐殺計画の実行の日程を、くじをひいて決めたところから出ています。

しかし、そのような、一見偶然の積み重ねとしか見えない状況でも、実は、見えない神の手が働いているというのが、エステル記のテーマに他なりません。

すなわち、本質は外見だけではわからず、見る目のあるものだけに明らかになるということです。

仮装やお酒といったものも、このことを教えるための小道具にすぎないのです。

ちなみに、プリムは、その外見のゆえに、しばしば欧米社会のハロウィンと比べられますが、ハロウィンでは、仮装したこどもたちが、ものをもらいに家々をまわるのですが、ユダヤでは、施しや贈り物をするためにまわるので、似ているどころか、正反対の性格を持った祭りだと言えるでしょう。