イスラエルでは、過ぎ越しの祭りが4月11日の日没から始まります。(1998年の場合)
イスラエルの民が、奴隷となっていたエジプトから解放されたことを記念するこの祭りーペサハ(Pesach)と呼ばれるーは、イスラエルの宗教上の第1の月の14日から始まる1週間で、別名、種なしパンの祭りとも言われています。
イスラエルの聖なるお方である神が、イスラエルに与えた一連の祭り(主の例祭と呼ばれる)のトップを飾る、とても重要な祭りで、イエスキリストも、この祭りの最中に十字架にかけられ、墓のなかから復活したのでした。
このペサハの別名、種なしパンの祭りという名は、この週には、一切パン種の入ったパンを食べないことから来ています。種なしと言っても、ただイースト菌を入れなかったというだけではなく、発酵することのないよう、湿気から厳重に守られた特別な穀物によって作られた、マッツァというパンを食べます。
それで、ユダヤ人の家庭では、ペサハに先立って幾日もかけて、家からパン種や、発酵した穀物によってできた食品のすべてを一掃するために、大掃除をします。大掃除をして新年を迎える日本と似ているところです。
パン種は、どんどん膨らむ性質があることから、罪、特に高慢や偽善の象徴とされています。それで、この大掃除は、ただの掃除ではなく、内面の罪を取り除くためのものであることがわかります。
また、ペサハは、元来(神殿のあった時代には)、夕暮れに羊をほふってはじまりました。言うまでもなく、エジプト脱出に際して、ほふられたいけにえの血が鴨居に塗ってあったイスラエルの家は、神のさばきが「過ぎ越し」たことを記念するものです。
今日神殿がない状態では、いけにえが捧げられないので、この肉は食べませんが、肉を除いた過ぎ越しの食事は、伝統に従って今でもペサハのメインイベントとして守られています。
過ぎ越しの食事は、イエスキリストも、十字架に向かう前に、ぜひ、弟子たちと共にとりたかったと言われた重要な食事で、そこには、さまざまな真理が象徴的に隠されています。
この食事は、セデル(順序)といわれる式次第にそっておこなわれ、四杯の葡萄酒、いけにえの肉(神殿のない今日では、しばしば羊の焼いた骨だけ)、エジプトでつくらされていた煉瓦をあらわすハローセスという甘いまぜもの、苦難をあらわす苦菜(西洋わさびやロメインレタスなどが使われる)、和解のささげものを象徴するローストした玉子、新しいいのちをあらわすパセリなどの、象徴的な食べ物が、祈り、賛美、朗読や由来についての問答などとともに、順序良く食されていきます。
ここで、その詳細を述べることはできませんが、ひとつひとつの行為には深い霊的な意味があり、この食事を通して、ユダヤ人の家庭では、神のわざやイスラエルの歴史を子々孫々伝えてきているわけです。
イエスキリストは、いわゆる最後の晩餐と呼ばれている過ぎ越しの食事の時に、そこで飲まれる葡萄酒の深い意味を教えられました。すなわち、究極のいけにえであるイエスが十字架で流す血をあらわしていると。この血は、永遠の罪の赦しを与える契約の血であり、どんな罪人も、この血の契約にあずかるならば、罪がゆるされ、永遠の出エジプト(解放)を体験できるのです。
また、マッツァのなかの、特別に砕かれて食されるアフィコーメンというパンについては、御自身のからだを象徴しているとも言われました。このアフィコーメンも実に豊かな象徴を秘めていますが、イエスと出会うならば、このパンがいかに祝福に満ちたものであるかを知る事ができるのです。
このパンと葡萄酒については、今日では、ミサ、あるいは聖餐式という儀式の形で残っていますが、本来は過ぎ越しの祭りの晩餐であり、本当の食事でした。イエスは、この特別な食事の最も深い意味を解き明かされ、以後、イスラエルの出エジプトと共に、イエスの死をあらわすものとして食されるようになったのです。
ちなみに、初代教会のひとたちは、しばしば家々で集まってパンを裂いていたと記録されていますが、もちろんこれは、年中過ぎ越しの食事をしていたわけではありません。過ぎ越しは、パウロの時代でも、伝統通り、年1回行われていました。
元来、パンを裂くとは、食事を共にしながら深い交流をするという意味で、日本の「同じ釜の飯を食う」ということばに近いものです。ですから、これは過ぎ越しの食事ではないけれども、実際の食事であって、今のような儀式ではありませんでした。
ですから、パウロも、主の晩餐にあずかるのに、我さきとおしかけて、他人の分まで食べ、酔っ払ってしまうような不届き者に、きびしく警告をしています。
いずれにせよ、過ぎ越しの食事をモデルとした、イエスを中心とした深い交流の場、それが主の晩餐、(今日でいうところの聖餐)なのです。
どうか、この過ぎ越しの祭りの時期に、出エジプト、すなわち、罪の奴隷からの解放を体験できますように。