服部龍太郎 > STUDY > 補注蒙求 > 季布一諾 阮瞻三語


季布一諾


現代語訳

季布(きふ=人名)がひとたび承諾すれば、それは黄金以上に価値があった

前漢(紀元前二〇〇年頃)の季布は、中国南部の「楚(そ)」の国の人である。任侠で有名だった。漢の高祖(=初代皇帝)が天下をとるまでライバルの項籍(こうせき=人名)は、季布を将軍として、高祖を苦しめた。項籍が滅び、高祖は大金の懸賞金をかけて季布を探した。「あえてかくまった者は、その家族親戚をも罰するぞ。」とした。季布は、任侠の地である濮陽(ぼくよう=地名)の周氏のところにかくれた。周氏は季布の頭髪を剃り、首輪をはめ、粗末な服を着せ、霊柩車の中に置いた。そしてその家の奴隷数十人とともに、よその任侠の家に売られた。その家の人は、それが季布であることに気付き、皇帝の側近に面会して次のように言った。「季布に何の罪があるのですか?臣下はそれぞれその主人の為につとめるだけです。ライバルの臣下をことごとく罰するべきでしょうか?今皇帝は、やっと天下をとりました。なのに個人的なうらみで一人の人をさがし求める。どうして心の広くないことを示すのですか?」と。側近は皇帝に申し上げた。皇帝はすぐに季布をゆるした。招いて接見して宮中の宿直の職を授けた。後に都近くの地方長官になった。季布は初め曹丘生(そうきゅうせい=人名)という弁士のことをこころよく思っていなかった。曹丘生が来て季布に会釈して言うには、「我々の故郷の言い習わしでは、季布の承諾は黄金百にまさる、と言われています。あなたはどうしてこの名声を広大な地域で得られたのですか?私はあなたと同郷人です。私にあなたの名声を広めさせれば、すばらしいとお思いになりませんか?どうして私のことを深刻に拒んでいらっしゃるのですか?」と。季布は大いによろこんで引きたてて上等の客とした。『史記』には「季布の承諾は、黄金百斤にまさる。」とある。

白文

季布一諾

前漢季布楚人任侠有名項籍使将兵数窘高祖籍滅高祖購求布千金敢有舎匿罪三族布匿濮陽周氏周氏廼コン鉗布衣褐置広柳車中并與其家僮数十之魯朱家所売之朱家心知其季布也乃見汝陰侯滕公説曰季布何罪臣各為其主用職耳項氏臣可尽誅耶今上始得天下而以私怨求一人何示不広也滕公言於上上乃赦布召見拝郎中後為河東守布初不説辨士曹丘生生至揖布曰楚人諺曰得黄金百不如得季布諾足下何以得此声梁楚之間哉僕與足下倶楚人使僕游揚足下名顧不美乎何距僕深也布大説引為上客史記得黄金百斤不如得季布諾

よみ方

季布(きほ)一諾(いつだく)

前漢(せんかん)の季布(きほ)は楚人(そひと)なり。任侠(じんけふ)を以(もち)て名(な)有(あ)り。項籍(かうせき)兵(へい)に将(しやう)として数(しばしば)高祖(かうそ)を窘(たしな)めしむ。籍(せき)滅(べつ)して高祖(かうそ)布(ほ)を千金(せんきん)に購(あがな)ひ求(もと)む。敢(あへ)て舎(やど)し匿(かく)すこと有(あ)らんものをば三族(さんそく)を罪(つみ)せん。布(ほ)濮陽(ほくやう)の周氏(しうし)に匿(かく)れたり。周氏(しうし)廼(すなは)ち布(ほ)をコン鉗(こんけん)して褐(かつ)を衣(き)せて、広柳車(くわうりうしや)の中(うち)に置(お)く。并(ならび)に其(そ)の家僮(かとう)数十(すうしふ)と、魯(ろ)の朱家(しゆか)に之(ゆ)くを、売(う)る所(ところ)の朱家(しゆか)心(こころ)に其(そ)の季布(きほ)なることを知(し)りて、乃(すなは)ち汝陰(じよいん)の侯(こう)滕公(とうこう)に見(まみ)えて説(と)きて曰(い)はく季布(きほ)何(なん)の罪(つみ)かある。臣(しん)各(おのおの)其(そ)の主(しゆ)の為(ため)に職(しよく)を用(もちゐ)るのみ。項氏(かうし)の臣(しん)尽(ことごと)く誅(ちう)す可(べ)けんや。今(いま)上(しやう)始(はじめ)て天下(てんか)を得(え)たり。而(しか)して私(わたくし)の怨(うらみ)を以(もち)て一人(いつじん)を求(もと)む。何(なん)ぞ広(ひろ)からざることを示(しめ)す。滕公(とうこう)上(しやう)に言(まう)す。上(しやう)乃(すなは)ち布(ほ)を赦(ゆる)す。召(め)し見(まみ)えて郎中(らうちう)に拝(はい)す。後(のち)に河東(かとう)の守(しう)と為(な)る。布(ほ)初(はじ)め弁士(へんし)曹丘生(さうきうせい)を説(よろこ)ばず。生(せい)至(いた)りて布(ほ)を揖(いふ)して曰(い)はく。楚人(そひと)の諺(ことわざ)に曰(い)はく、黄金(くわうきん)百(もも)を得(え)んよりは、季布(きほ)が諾(だく)を得(え)んには如(し)かず。足下(しよくか)何(なに)を以(もち)てか此(こ)の声(な)を梁楚(りやうそ)の間(かん)に得(え)たるや。僕(ほく)足下(しよくか)と倶(とも)に楚人(そひと)なり。僕(ほく)をして足下(しよくか)の名(な)を游揚(いうやう)せしめば、顧(かへりみ)るに美(び)ならざるや。何(なん)ぞ僕(ほく)を距(ふせ)ぐこと深(ふか)きや。布(ほ)大(おほき)に説(よろこ)びて引(ひ)きて上客(しやうかく)と為(な)す。史記(しき)に黄金(くわうきん)百斤(はくきん)を得(え)んよりは、季布(きほ)が諾(だく)を得(え)んには如(し)かず。

阮瞻三語


現代語訳

阮瞻(げんせん)は三語で答えた

晉(しん=西暦三〇〇年頃)の阮瞻またの名は千里(せんり)。始平(しへい=地名)の長官・咸(かん=人名)の子だ。性質はさっぱりして欲は少ない。心の中で自分でさとる。書物を読むにも、それほどくわしく調べるわけでもなく、しずかにその要点を認識する。ものごとの道理に考えが合うと話す。言葉は足りないけれども考えは沢山ある。阮瞻は、宰相の王戎(おうじゅう=人名)にまみえた。王戎が質問して言うには、「聖人は名分に関する教えを貴ぶ。老子や莊子はものの本質を見分ける。その趣旨は同じであるか異なるか。」と。阮瞻が言うには、「今にも同じであることがなくなろうとしています。」と(「将無同」という、わずか三語で答えた)。王戎は(阮瞻が難しい質問に対して、わずか三語で答えたことに感心して)ため息を少し長くついて、すぐに命じて、阮瞻を役人に登用した。おりにふれてこれを三語の小役人という。阮瞻は、西暦三一〇年頃に皇太子の側近になった。阮瞻は元来、亡霊はいないという考えを守っていた。自分で「この理屈は、あの世とこの世のことを正しく言い得ているだろう」と言っていた。にわかに名を知らせて来た客が阮瞻に謁見した。阮瞻はこの客としばらく語らって、話題が霊魂の事に及んだ。客の話を阮瞻がくつがえしたので、客は非常に苦しんだ。そして客はついに屈した。しかし気持ちをふるいたたせて言うには「霊魂は、昔も今も、聖人も賢人も皆、語り継いできたものなのです。どうしてあなただけが、ないと言えるのですか?つまり僕は、まさにその亡霊なのですよ。」と。客はここで変身して異様な姿になった。しばらくすると消えてしまった。阮瞻は、すごくいやだなと思った。一年あまりで病気で亡くなった。

白文

阮瞻三語

晉阮瞻字千里始平太守咸之子性清虚寡欲自得於懷讀書不甚研求而默識其要遇理而辯辭不足而旨有餘見司徒王戎戎問曰聖人貴名教老莊明自然其旨同異瞻曰將無同戎咨嗟良久即命辟之時謂之三語掾永嘉中爲太子舍人瞻素執無鬼論自謂此理可以辯正幽明忽有客通名謁瞻瞻與之言良久及鬼神之事反覆甚苦客遂屈乃作色曰鬼神古今聖賢所共傳君何得獨言無即僕便是鬼於是變爲異形須臾消滅瞻大惡歳餘病卒

よみ方

阮瞻(げんせん)三語(さんぎよ)

晋(しん)の阮瞻(げんせん)字(あざな)は千里(せんり)。始平(しへい)の太守(たいしう)咸(かん)が子(こ)なり。性(せい)清虚(せいきよ)にして寡欲(くわよく)なり。懐(くわい)に自得(しとく)す。書(しよ)を読(よ)むこと甚(はなは)だ研求(げんきう)ならず。黙(ぼく)して其(そ)の要(えう)を識(し)る。理(り)に遇(あ)ひて辯(へん)なり。辞(し)は足(た)らざれども而(しか)も旨(し)餘(よ)有り。司徒(しと)王戎(わうじう)に見(まみ)ゆ。戎(じう)問(と)ひて曰(い)はく。聖人(せいじん)は名教(めいかう)を貴(たふと)ぶ。老荘(らうしやう)は自然(しぜん)を明(あきらか)にす。其(そ)の旨(し)同(おなじ)きか異(ことな)るか。瞻(せん)曰(い)はく。将(まさ)に同(おなじ)きこと無(な)からんとす。戎(じう)咨嗟(ししや)良(やや)久(ひさし)くして、即(すなは)ち命(めい)じて辟(め)す。時(とき)に之(これ)を三語(さんぎよ)の掾(ゑん)と謂(い)ふ。永嘉(えいか)中(ちう)に太子舍人(たいししやじん)とす。瞻(せん)素(もと)より無鬼論(ぶきろん)を執(と)る。自(すずか)ら謂(い)へり此(こ)の理(り)以(もち)て幽明(いうめい)を辯正(へんせい)す可(べ)しと。忽(にはか)に客(かく)有(あ)りて名(な)を通(とう)して瞻(せん)に謁(えつ)す。瞻(せん)之(これ)と言(い)ふこと良(やや)久(ひさし)くして、鬼神(きしん)の事(こと)に及(およ)ぶ。反覆(はんふく)して甚(はなはだ)苦(くる)しぶ。客(かく)遂(つひ)に屈(くつ)す。乃(すなは)ち色(いろ)を作(をこ)して曰(い)はく。鬼神(きしん)は古今(こきん)聖賢(せいけん)の共(とも)に伝(つた)ふる所(ところ)なり。君(きみ)何(なん)ぞ独(ひと)り無(な)しと言(い)ふことを得(え)んや。即(すなは)ち僕(ぼく)は便(すなは)ち是(こ)れ鬼(き)なり。是(ここ)に於(お)いて変(へん)じて異形(いけい)と為(な)る。須臾(しうゆ)に消滅(せうべつ)す。瞻(せん)大(おほい)に悪(にく)む。歳餘(せいよ)にして病卒(へいそつ)す。


Last update 1 MARCH 2012

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