現代版中山道独案内

石神井川


 道はやがて本町との境界を流れる石神井川に架かる板橋を渡る。ここが〔江戸〕に「駅舎の中程を流るゝ石神川に架する小橋あり。板橋の名こゝに発るとぞ」とあるとおり、板橋の地名発祥の橋である。今は鉄筋コンクリートの橋だが、いかにも木を組んだような形と色彩で、昔を偲ばせており、橋の右手中央部には「距・日本橋二里二十五町三十三間」と大書した杭が立ててある。
 昔はこの橋を渡ったところ右手に、脇本陣の板橋家があったが、川幅の拡張でなくなり、今はその子孫の板橋静夫氏が橋の手前右手で、橋本屋酒店を経営している。この板橋家は、さきの板橋信濃守の16代目に当たっており、同家の話では乗蓮寺にある信濃守忠康の墓は後世の供養塔で、ここから北西に約300m、大和町の智清寺にある
墓が本当のものという。智清寺には板橋家累代の墓があるほか、山門前の正徳4年(1714)銘の石橋は、当時の農民が命と頼んだ中用水に架けられたもの。用水は今は排水溝の一部となっている。また〔旅鏡〕に「はす沼村−藤吉稲荷有」とある稲荷が、智清寺の境内左手にある。〔江戸〕では「木下稲荷祠−(前略)豊臣秀吉公いまだ木下藤吉郎と称せられし頃、この尊神を崇信し給ひ、既にして天下の武将となり給ふを以って、世に木下出世稲荷と称しまゐらすと云ふ。(伽羅稲荷、或いは又藤吉いなりとも唱へはべり)」と説明しているが、今も木下出世稲荷大明神の赤い旗がたくさん奉納してある。


板橋

智清寺