手持ちのミニコンポが3台とも故障し、物足りなさを感じる日々を過ごしている。

これまでなら朝起きてスイッチを入れ1時間、朝出掛ける前に1時間、仕事場では気が向けば何時でも・・・夜、部屋に戻ればCD3枚ほど。

修理を考えて数年経つ。

思い出したように、ユーチューブの文字が浮かぶ・・・これまではユーチューブの存在にも関心が無く、開いたこともなかった。店内で作曲関係者との会話中“今はユーチューブがあるから”と何やら、音楽関係にも繋がりそう・・・位に気に留めていた。

開いてみると、音楽もミニコンポ同様に聴けた・・・ジャズ、バロック、クラシック、ポピュラー・・・何でも探せる。

これを利用しているとふんだんにコマーシャルが入り、何か物足りず、故障ミニコンポの間に合わせかなどと考えながらスイッチを止める。

冬場の寒い時期は用事が無ければ外出も控えめで、窓から外を見やっては寒気を感じコンポのスイッチ・・・これが駄目なのだ。

各地の、窓からの眺めを思い浮べる・・・榛名湖畔竹久夢二アトリエからの眺め、目白台の旧細川藩主邸松聲閣からの眺め、小金井公園内の江戸東京たてもの園に移設された高橋是清邸からの眺め・・・それぞれの今は、白一面の雪景色であり、枯山水であり、是清邸の歪んだ漉ガラス越しには想像力の膨らみも伴ったことだろう。(h31.1.10)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

菊芋、ヤーコン、生にんにく、菜の花、エ シャーレット、胡瓜、トマトと続き、つい先日は、ツルムラサキとモロヘイヤが並んでいた。数日前は28cmほどの青瓜で、次は25cmほどのミニ冬瓜だった。これ等は全て一軒の農家の収穫物で、年明けから順番に入手し、季節の野菜を観て季節の変化とともに味わってきたもの。欲しい野菜が無い時は鋏と小さなポリ篭を手に採ってきてくれる。しかも全て¥100円だ。眼の前の畑で採ったばかりだから見栄え良く、香り良く、食事の味は格別なのだ。当畑で採れるトマトを目指して何度か行ったが初めの頃は“カラスにやられて”次に“雨が降らなくて無い”と。その後は“もう終わりだ”と。

畑の後ろで緑の中の赤い実を眼にしていた私は、“赤いのがあったよ”と言うと“割れているから駄目だよ”・・・これを6個¥100円で分けて貰い、サラダにしたら極上のアノ味だった。胡瓜ももう終わりで残り1本を大事にサラダに数刻み入れている・・・これもアノ味なのだ。ほぼ収穫の済んだ畑には秋茄子や葱などがポツリポツリとみられるが、これからは樹上に移る。散歩道の東久留米市・黒目川沿いには栗園や梨園もみられ、中州の薄の穂からは峠道沿いの澄んだ青空に延びる薄が思い浮かぶ。9月下旬、もう収穫時期の秋祭りが各地で賑わう。府中市・大国魂神社のくり祭山車も出て盛大だが、千代田区神田明神賑わうのだろうか・・・下に神田川が流れ、田からの収穫もあったであろう往時の賑わいは境内シャッターに描かれた絵画からも想起される。(h30.9.30)

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青梅街道沿いにある食品館の前を通ることも稀となり、生チーズを身近にすることも減り、思い出したように駅1ツ先の同名館に立寄っては手に入れていた。同様に約半年後にも行ってみたら、閉店されており残念且つ、不安が過り・・・たまに寄るようでは知名度抜群な店でも運営を継続出来ないのだ、とどんよりした気分になった。

ドンヨリ、鈍より・・・何やら6月中旬の梅雨時期も活力漲るには程遠いが、現在開催中のサッカーワールドカップには気を曳きつけられる。サッカー中継があり梅雨期間中は気が切れることは無さそうだ。梅雨が明ければ・・・あの・・・暑さがやってくる。鎌倉・材木座海岸海の家の組み立ては出来たのだろうか。

梅雨に沿う華・・菖蒲や紫陽花(小平あじさい公園)は鮮やかな粋の乱舞で、雨続きでも鮮やかな傘を片手に吸い寄せられる。眼の角度を変えれば小さい4ツの花弁のドクダミの白も魅力を放っている。

葛飾堀切菖蒲園菖蒲まつりは確か、6/1からで(5/28の園内の、)、文京区内の紫陽花縁の地では、紫陽花まつりは6/9からと根津神社周辺の案内板に表示されていた。

鎌倉の、海を従えた成就院の紫陽花や、青を基調とした明月院の紫陽花にも想いを抱きながら・・・(h30.6.23)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3時過ぎに材木座海岸に着き、砂浜へ行く。

数十年にわたり、足を踏みいれては砂上に立ち日没頃を見渡している。

浜に出る度に変わらぬ由比ガ浜に感じいり、季節違いの変化にジャンバー姿で冷たさの伴う浜風を体に受けながら・・・。

確か昨年までは砂防に葦簀が立て掛けられていたのだが、今回は竹垣設置されていた。

竹垣は鎌倉市街の住宅地では良く眼にするのだが、浜の砂防に利用されるのは鎌倉の景観も充分に考えてのことなのだろう・・・強風に吹き飛ばされることも無さそうな造りだ。

鎌倉は竹材も豊富な筈で、鎌倉の景観の統一感から一役かわれたのかも知れない。

暖かさが増して、大勢の人が浜の海水と戯れる頃には外されるだろうから、短期間の姿なのだろう。冬至の浜には無く、年明け後に設けられたと想われる。

浜を離れて妙本寺に足を延ばすと暖かみを帯びた斜陽が石段を染め、本堂にも温もりが・・・。

本堂横の紅梅、白梅をも花嫁姿に寄り添わせながらのひと時が・・・(h30.3.27)

 

 

高田馬場駅の線路下をとおり近くを流れる神田川まで自転車を走らせた。

目的は、神田川の流れの内、高田馬場周辺より下流で神田上水に分流される間の位置関係や姿に触れてみたいからだった。隅田川への注ぎ口より遡り、万世橋、御茶ノ水橋、水道橋など多くの橋が連なるが、大まかには現在の文京区内を神田上水として流されていた。

橋の傍には表示板が立ち、往時の様子がうかがわれ、最近の利用についても・・・。

流れに沿って肥後細川侯下御殿の様子を観られる公園や、関口芭蕉庵表示板、神田上水取水口神田上水堰関口の歴史などについて観て回るのも興味深いものがある。隅田川ほどではないが、神田川中流辺りでもそれなりの賑わいがあったのだ。

神田上水は1900年頃まで利用されていたが、1900年前に淀橋浄水場が出来てから水路が変わったようだ。この浄水場へは、神田川源流の直ぐ上に位置する玉川上水が流れている。

玉川上水は多摩湖より放流されており、現在も地下水路で流れ、流水路上は都民のサイクリングロードとして憩いの空間となっている。

小平より自転車で30分足らずの位置にあり、多摩湖隣接の狭山公園では四季をとおして爽やかな憩いの場となっているのだが、11月の薄路には湖底に沈んだ部落の面影をも感じさせる。

湧水に魅かれて野川公園にも足を延ばしてみての帰路、想いの外の落陽が。(h29.12.7)

 

 

用事があり環八を真直ぐ走り甲州街道沿いまで行ったのだが、途上に「神田川」の文字が気を引いた。

帰路は川沿いを走り神田川源流までの距離感覚をと・・・周辺を見回わしながら・・・

神田川は三鷹市・井の頭源流とし、中野区・中野坂上辺り、新宿区・早稲田、文京区後楽園辺り、台東区・浅草橋辺り、と流れ柳橋から隅田川へと注いでいる。

注ぎ口近くには両国橋が架かり、夏の風物詩「両国花火」に纏わる版画絵なども観られ往時の盛んな様子に想い巡らすのも味わいのあるひと時だ。

夏本番の8月1日より20日過ぎまでの降雨続きでは季節も移ってしまうが、下旬の気温上昇に自転車に跨り、ペダルを強く、強く踏む・・・トマトと胡瓜の濃密な味を抱きながら・・・もう・・・終わっていた。畑の裏に回ると、収穫済みというよりUパイプに垂れ下がった茎や朽ちた葉がだらりと傷ましく、葉が溶けたようで・・・収穫は雨にやられたのだろう。此方は柳瀬川の辺りで、源流は狭山湖辺りとし荒川へと注ぐのだが、川辺は自然に満ちメダカが泳ぎ、トンボが飛び交い、鶯の囀りで季節の移ろいを感じ、緑が覆う・・・親子の歓声も絶えない。

川の流れは絶えずに動き、変化に富み、ふと思い浮かんでは川辺へ誘われる。

牧野富太郎庭園の8月27日はキツネノカミソリヤブランが蝉の声に注がれて・・(h29.8.31)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴールデンウイーク最終日の7日午後過ぎ、自転車で柳瀬川に向かった。

流れる川辺の子供絡みの動きや、農家の無人小屋に並ぶ採れたての野菜は・・・と想い浮かべながら・・・雨もなさそうで。

高さ3,5m程の桑の木を斜め横に、川向こうでは釣れる気配のない釣竿で盛んにリールを回している・・・学校が休みなのか、会社が休みなのか・・・

新緑の若葉の葉擦れ音を頭上に、長椅子に寝っ転がる・・・1時間・・2時間・・瞼を閉じて視界を遮り・・このまま瞬時が無に置かれれば・・・肌寒さを憶えるころに起上がる。

5時過ぎのユウヤケコヤケが流れてくれば・・・そろそろの時間感覚で、帰路上の旬の春野菜はとポケットの百円玉をあさる・・・無人野菜販売小屋での投函用だ。

自転車一台がやっと通れる道幅を1分も走れば小屋に着く。並んだ野菜をひと通り眺め、手にしながら決めてゆく・・・レタス、ステックブロッコリー、ミズナ、ナノハナを選び、4m先の作業台上で袋詰めをしている小父さんに声を掛けると、「それは紅ミズナだよ、サラダに」と。ブロッコリーは軟らかさを確認し、ナノハナはチョッピリノ苦味を憶えつつ。

35年程続けた阿佐ヶ谷のお店を引上げたのは3月末日で、商品の移動は3月中頃から始めたが連日の深夜まで、いや仕舞いの頃は深夜の2時過ぎまでかかり・・・倉庫の整理は1ヶ月半後の今でも途上だ。落合川の憩いの場、小金井公園の緑地、石神井公園の三宝寺池へと足を延ばしたのは・・・気休め、体休めだ。35年間の仕事慣れから、次へ・・・と・・・

9日の鎌倉出掛けも気休めで、小金井街道、府中街道、川崎街道、鎌倉街道を通って朝比奈街道から十二所へ入る・・・上り口でケッキョ、ケッキョ、ホーホケッキョ〜〜の歓迎が・・・息が吹きかえった。連休明けの材木座海岸妙本寺境内僅かに形を残す石・・・35年以上もお決まりの場所だ。(h29.5.13)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

降りだしそうな雲行きを気にしながら鎌倉・材木座海岸へ向かう。

鎌倉へ出掛けた時には何時もの行動パターンで、本降りでもないかぎり車を止めて砂場に立ち、海を全身にうける。

人けの少ない浜辺には烏の舞う風景が多くみられ、波に打ち寄せられた獲物群がる

車に戻る頃にはポツリポツリ・・・傘を差してまでは立ち止まらない。

ポツリポツリ程度なら、次へと向かう。

瑞泉寺門前までだが、これも永年の行動パターンで、見慣れた佇まいに気分が安らぎ・・・おもわぬ出会いが・・・雨に打たれて染めた橋上キンモクセイに引き寄せられ、思わず降りた。10月初旬だったが、曇天の鎌倉は、12月の晴天より季節をずれて感じられる。

12月も中旬を過ぎたが、躍動感はどこを彷徨っているのやら・・・

過ぎし日の帝国ホテル前銀座ネオンを思い出し、浅草の老舗バー灯りの温かさに触れる。

温泉に入ろうか。(h28.12.18)

 

 

雨がぱらつき今日も傘は手放せない一日になりそうで、予想気温は22〜27℃の表示。

50mほど手前の信号待ちで、農場に接する歩道側面に立ち止まると初秋の冷気が肌に心地良い。金網越しを見遣ると雨に濡れた露草に笹それに、欅の枝葉が垂れ下がる。

更に、樹幅70cmほどの翌檜や欅などが十数本林立し、この空間がひんやりの発信元だ。

法人機構にも予算が付いた頃には畑地も様々な趣向が凝らされ、年間を通して手入れされていたのだが、予算のない今は更地となり、もう立寄ることもない。

降雨の多さは日常の生活にも影響するが、樹木も季節を勘違いするようで、紫陽花と共に咲く梅雨時季のニオイバンマツリも季節外れの花を一輪、二輪。

頻発する台風が去っては青空が覗き、台風が日本列島を逸れては秋晴れが心を潤し、気分を和らげる・・・音楽に浸たろうか・・・絵画を観ようか・・・体を動かそうか・・・。

夏に熱せられた体に秋の訪れを告げ、秋風に擦れ合う薄のザワザワに感じつつ、虫の音がジィージィーージィーーー ジィーージィーージィーーー

を観て人智の虚しさを識り、編みを観て生活臭の記憶を呼び覚まし、木工細工を観て身近な温もりを感じ、郷土玩具を観ては風土の懐かしさに接する。(h28.9.15)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

♪〜♪〜春のうららのす〜み〜だ〜川〜〜♪♪〜

リズムに誘われるように隅田川方向に惹きつけられた。

小学校・校門辺りの桜も散ったが、春の陽気に浮かれて川へ、盛り場へと上着の心配も無く気分がワクワク・・・

開花前の頃には余程の用事が無い限り遠出の気分も起こらないものだが、降雨も無さそうで気温も高めなら行動範囲も自然と拡がるものだ。

5件ほどの用事絡みとなると行動意欲もたかまり、時間に追われるようにペダルの踏み込みにも力が入る。

言問通りから「ひさご通り」を通って浅草寺裏の「伝法院通り」に向かい、この界隈をぶらつくのだが、ゆったりした空気が溢れている・・・見上げれば、足を止めて駄洒落の絵と文字に魅かれ、文字の意味に思い巡らす。並びの浅草公会堂壁面にも当地ならではの趣向が凝らされている。ここから5分もペダルを踏めば隅田公園であり隅田川に架かる吾妻橋に出る。

川向こうの牛嶋神社を覘いてみたら石碑と、その傍らの掲示板には狂歌について記されていた。更にぶらつけば明治期の向島の写真が・・・これが、私の浸れたい旧き良き隅田川と想えた。この辺り一帯は浅草を中心にした隅田川、歌舞伎、狂歌などに纏わる文化ゾーンなのだ。(h28.4.25)

 

 

年明けの体を慣らそうと3日の昼過ぎに自転車を走らせた。

新年の外気に体をさらすだけだから・・・目的地は無く、何処でもよい。

普段通る広い道路から脇道に入り更に、小路に進むと見覚えのある雑木林が現れた。

何時もなら通り過ぎるだけだが時間を気にしない時には、表示板の文字に惹かれて立ち止ったりする・・・「国木田独歩の『武蔵野』・・・」が眼に付き、冬の武蔵野の原風景の中に身を置き、何重にも積もった落葉を踏み締めながらゆっくり歩く・・・朽葉の音を感じながら。

その場には犬と散歩する人が1人だけで、静かに通り過ぎていく。

林を通り抜けてから次へと向かったのは・・・20分ほど走った先の小金井公園だ。

園内で過ごす3が日の様子や、見栄えのする門松を思い浮かべながらペダルを踏んでいると時刻も気になりだした。

江戸東京たてもの園の門松は他ではお目にかかれないほどの構えであろうとは以前より気にはしていたが、写真を撮ろうとは家を出る時にはおもいもしなかった。

羽根突きの姿は無かったが、凧揚げやバトミントンそれに、縄跳びに興ずる姿を横目に正面玄関へと向かった。閉園間近なのだろう・・・退園の家族らしき姿がぞろぞろ。

空に舞うビニール凧も残り僅かになる頃、園を後にした。

翌4日はほぼ乾燥の済んだ餅搗き道具を仕舞い、寒さに照らす¥250円のクモマグサを株分けし、半分を階段のに置いた。

1月も、もう下旬になる。(h28.1.25)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅前広場の特設ステージ上では赤と緑のヘルメット姿の男女がサックスを吹きあげていた・・・午前11時開始の初演なのだろう。

阿佐ヶ谷駅を中心にした殆どのライブ会場は午後から始まるので、ジャズファンが路上で目立って来るのはあと数時間後なのだろう。

例年10月下旬の金、土曜日の2日間に繰り広げられる「阿佐ヶ谷jazz streets」も今回で21回目を向かえ、パンフレットに依ればライブ会場数が67ヶ所も列記されている。

阿佐ヶ谷のジャズ祭は「日本三大ジャズ祭」の1ツに数えられているそうだ・・・三大ジャズ祭の根拠は定かでないが。

この間、私としては店奥の机の前で店前の路上を練歩く楽団の吹くサックスやクラリネットの陽気な音色を耳にする程度だが・・・。この2日間は店内でもジャズCDをかけようとおもいながらも鳴らさずに済ますこと多い。

私がジャズに耳を傾ける場合は、楽器から選ぶことが多い・・・バリトンサックスとかテナーサックスとかトランペットとかチェロとかギターそれに、ピアノなど・・・それにその時の気分に合わせる様にしているが珠には、ご来店客に合いそうなCDをかけることも。

秋のジャズ祭とも言えそうだが、年を追うごとに秋の季節感がずれており10月下旬でも上着を必要としない日が多く、ジャズ祭に付きものの降雨でもなければ薄着でも快適に会場を回れる。

季節柄店先にはサツマイモが沢山並んでおり、多摩産を1袋¥200円で買って1年ご無沙汰の土鍋を引っ張り出したフッフッフッ・・・更に、多摩産の柿とキウイを1袋ずつ買い、今秋の味覚を確かめるのだが、袋から出して竹篭に盛ると視覚、嗅覚も愉しめる。

外から帰って焼き上がった焼芋を手にPCの前に座り、半開けの障子から空を見遣る・・・何時とも変わらぬ夕方近くにホッとする。障子に映る収穫の終わったゴーヤの朽ちかけた蔓葉に、これに合うジャズの音色はと・・・

鎌倉・妙本寺境内の石畳から繋がる石段の苔に射す僅かな木洩れ日をふと想い浮かべては温かさを憶えつつ・・・(h27.10.30)

 

 

/15採決の安全保障関連法案に対する反発の輪が拡がっている。

世論調査に依れば、75%程の国民が反対しているのだから、法案の内容を識るにつれ反対の輪は更に拡がるだろう。国民的合意の無い法案は廃案すべきだ。

台風11号の列島通過で高温に覆われ、天候がらみで熱気を帯びている・・・列島の噴火情報も各地から飛び交い穏やかではない。

前日、お馴染みのお客様が来店されて東北地方を回られた話をされた・・・岩手・盛岡の工芸店に寄り、秋田・角館でイタヤ細工を入手し、山形・米沢で笹野彫工房を訪ねたと東北地方の物産に魅せられた様子だった。米沢の相良人形工房にも寄られる予定だったらしいが、行けずに・・・と。それでも城址公園には行き、土人形も1ツ入手された、と。

その流れで当店に足を延ばされたようだった、「猫に鯛」をお買上げいただきました。

東北周遊談を耳にしながら何度も訪れている各地を思い浮かべてみた。福島・裏磐梯の湖山形・米沢の神社・・・この時季、長野県・志賀高原の蓮池では睡蓮が覆い、神奈川・鎌倉の源平池も睡蓮で溢れている頃だ。

憤懣渦巻く列島も年の半分が過ぎて、この頃に竹林に足を延ばせば竹の成長の早さに驚かされる。年の半分経過のこの時季に、この破竹の勢いの笹竹に願い事の短冊を託すのだから、望みが叶えられそうな気にもさせてくれる。(h27.7.22)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ことしより はるしりそめし いちねんせ ちることなどは おもわざらなむ

 

鎌倉の桜の名所・段葛は昨年より約1年の期間で改修工事が行われている。

この桜並木も工事塀に覆われて、今春の桜は観られない。鎌倉の住民によれば、桜の木も抜取られ新しく植え替えられるらしい。と言うことは、昨年までの画像は思い出となった。

さくら、さくら、さくら、桜咲く・・・新入学のいちねんせ。見上げれば桜が満面の笑みで被い、親子連れでの山高帽姿の女の子は嬉しそうにスキップして歩いている・・・希望に満ちて

子の成長を見守る親、これを土人形で表現している人形の1ツが「中野人形・頭巾かぶり」だ。この姿に秘められた想いに土人形ファンは惹きつけられる(じっくりご覧下さい)。

全国に散在する「鯉の滝登り」も逞しい成長を願う伝統玩具だ。

坂本龍馬は桂浜から広大な海を見つめた。

いちねんせも多摩川河口より広大な海を見つめられる。(h27.4.10)

 

しろがねも くがねもたまも なにせむぞ まされるたから にしかれやも

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地球の直径はと思いつきPCで検索してみた。

12756kmだから半径は6378kmになり、これから周囲を計算してみると39865kmとなる。

周囲約4万kmの距離は長いだろうか。

今乗っている車は昭和生まれで現在の走行距離は30万kmを超えている。

この走行距離では地球を何回りしているかを計算してみると7周半と出た。

約30年間の走行距離で、地球を7,5回りしたことになる。

1台の車で地球の周囲を7,5周回っているのだが、それ程の距離ではない。

この小さな地球に人間生活による危害を生じさせるべきではない。

年末が近ずいてくると今年のやったことや、遣り残したことが気になりだすものだ。

そこで、今年、地球上に起こったことなどを巡らしてみると温暖化による北極や南極の融氷や海面の上昇、集中豪雨による多大な被害、極端な豪雪による路上の混乱、火山の噴火などが次から次へと浮かんでくる。

これは周囲4万kmの地球上で起こっているのだ。

これらへの対応は各分野で議論されているのだろうが、先ずは個々人が出来ることから始めるしかない。全てにおける自制心の問題・・・欲を張らずにやれる行動を・・・

狭隘な個人では視野が狭ければ、たまには山門を潜ってみるのも良いかもしれない・・・門ので睨みをきかす厳つい姿に睨みをきかす形相。

山門を通る人々の浮かれ気分を削ぎ落とすかのよう・・・太平洋戦争も、高度経済成長期も、リーマンショックも、失われた20年も、阪神大震災、東日本大震災も観続けており更に、これから先も・・・

地球上の異変でも歌舞伎隆盛は目立ち・・・浮世離れの大見栄に非日常を味わえる面もあるだろし、代を重ねて繋がる贔屓筋の芸の進化も愉しめるのだろう。

新年を迎える歌舞伎座の華やかさ、和服姿で頭には煌く簪を挿して集う歌舞伎ファン。

武蔵野では、葉がすっかり落ちて、橙の柿の実を啄む百舌の群れ・・・1羽ずつ数えると17羽ほどで見失うが不思議にもカラスは1羽もいないのだ。

もし入ったとしたら、他のカラスは声を発するだろうアホォ〜アホォォ〜〜(h26.12.30)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言問橋を渡った直ぐ先で国道6号は交差している。

6号を1時間ほど走れば目的地の江戸川河川に着く筈で、出掛ける前に位置を確かめた。

位置を確認すると、江戸川は柴又帝釈天の直ぐ裏側で堤防を越えた向こうに流れている。

9月15日の行動日には、江戸川の流れに沿って河口までの周辺の姿と距離などを体感しようと考えていた・・・5月の隅田川河口、6月の荒川河口に続き、その先に流れる河川が東京・葛飾区と千葉県・松戸市を隔てる江戸川であり、江戸川河口までを目指していた。

江戸川が目的でも方角からすれば柴又一帯が周遊地であり、河川に出る前に柴又駅周辺に自転車を置き、帝釈天辺りを歩いてから次に向かえば当日の行動に面白さが倍加する。

参道から境内に入ると、山門横に設けられた御神籤機の獅子舞仕掛けの動きに現代を感じ、本殿の彫刻に時代の重みを受けとめた。

江戸川河川へは暑くなる夏前の6月を予定していたのだが、3ヶ月遅れの晴天が期待出来る9月にずれ込んだ。当日は祝日でもあり帝釈天参道は観光客で賑わい、江戸川河川敷では野球の試合などのスポーツが盛んだったが、猛暑後の爽やかな好天に誘われてか土手の上を歩く親子連れや自転車の動きに眼を惹きつけられた・・・他所では出あえない柴又堤防でのひと時だった。

江戸川を見遣れば「渡し舟」が浮かんでおり、これが有名な「矢切の渡し」であり、葛飾区柴又と松戸市矢切の往来に利用されている・・・今は往時を抱いての観光であり、大人¥200円。子供¥100円で乗船出来る。

柴又から土手を下り江戸川河口に出て市川大橋を渡って向こう側の土手までぐるっと回り、松戸の矢切へ向かうのだが途中の午後4時前に通った河口から12,5キロ辺りの雑木に覆われた茂みからは蝉時雨が・・・半端ではない・・・9月中旬でも蝉の季節は終わらないが、矢切を後にする頃は肌に心地良い秋風が・・・(h26.9.27)

 

 

5月連休後に鎌倉へ行き、用事が済んでからいつも立寄る妙本寺境内でひと息する。

いつも閑かさに触れてから次へと向かうのだが、近頃は想いを同じにする姿をよく眼にする。やはり・・・ひとり閑かになりたいのだ・・・以前は、人目に触れることもなく猫の穏やかな眼差しや動作に時間を経過したものだが・・・。

ここから15分も車を走らせれば材木座海岸で、押し寄せては戻る凪に耳目で触れる・・・沖には強い風で走るウインドサーフィンが右に左に繰り返す・・・待ち望んだ風での海遊びを、風が止むまで瞬時を逃すまいと。

水辺に魅せられるのも連休頃からで、河川も同じだろう。

河川にもそれぞれの姿があるのだが、多摩川の河口より25km辺りの堰には川中に座しての釣り人や、目的を同じにする小鷺も細い足に細い嘴で獲物を探していた。

更に下れば、鮎などの遡上棚が構築されており、時間をかける余裕のある人は、その銀鱗にときめいていることだろう。

隅田川の蔵前橋、両国橋間には「隅田川ギャラリー」が設置されており水上バスによる遊覧とともに絵画版画などを観て愉しめる。墨田区側の国技館のある左岸では大きな錦絵などが連なり、その長さは150mもあるだろうか・・・

台東区側の蔵前問屋街に面する右岸には広重の版画絵がタイル絵で台座に嵌め込まれている・・・その数、十数枚。「両国の花火」「吾妻橋金龍山遠望」など。

川に沿う路上にもタイル絵が両岸とも設置されているのだから、観光資源としての位置付けも国内に留まらず世界に対しても拓かれているのだろう・・・時間に余裕のある方は足を運んで川の流れの川風を肌に触れながらお愉しみ下さい。

更に河口を目指せば大きな橋を跨ぎながらも対岸に佃島を眼にしながら、築地市場、浜離宮、竹芝桟橋、日の出埠頭と続く(h26.6.25)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今朝の食卓上には、いわしの丸干し焼、厚揚げ2切、キムチ、野菜サラダ、乾のり、納豆、アサリの味噌汁それにご飯が並んだ。2月から3月にかけては何時もこんな調子だ。

食事を始める前に小さな土鍋にサツマイモ3ツを川の字に入れてガスコンロを点火する・・・5分ほどは弱火で、以降30分ほどは中火にし更に、7分ほどは弱火に戻す。

いわしの調味にはぽんずが合い、厚揚げにはおろし生姜に醤油が合う・・・いわしの箸付けは鰓より3cmほど離れた箇所の腸に当てて切り離し、頭部を除いた下部に齧り付く。

これが、、、絶妙な味なのだ・・・まるでライオンが獲物を捕まえた直後に齧り付く内臓の味に通じる風が判る気がする。

食事は30分ほどで済むのだが、その間に土鍋の穴からモクモク噴出す湯気と香りが漂ってきて火を止める・・・焼き芋が出来上がる。

季節が進んだ頃の食卓にはプランターから摘んできたレタスを千切ってサラダに加えると・・・食欲が増してくる・・・5株200円で買った苗が〜〜〜と想い浮かべながら・・・。

春分の日前に春二番が吹き荒れ、ガラス窓に射す陽も明るさを増してくると次々に草木は芽生えてくる・・・紫陽花の芽吹きを観ると束ねた葉っぱが観ている間に握った拳を開かんばかりのようだ・・・枝の至るところから競うが如く。2月の、45年ぶりとなる2度の積雪など無かったかのように。

今年初めて飾り付けた雛人形も仕舞わなければと気にしつつ、男雛の貌の不機嫌さを観ては女雛の貌を観る・・・この内裏雛には何らかの感情を包み込んでいるようで・・・

三人官女、五人ばやしも表情豊かに支えながら・・・四月に入ればのぼりだ。

週間天気予報を観れば晴天続きで暖かさが増す一方で気分も和んできて、車に閉じ込められた中古で買った¥8500円の折畳自転車の活躍も始まりそうだ。

新入学、新入社、卒業、退職の年度替りの季節でもあるが、時代の流れに伴い住宅などの新陳代謝もあり特にこの時期は、高度成長期に華々しかった市営住宅の役目終わりを眼にし、戸建に移りゆく姿を眺めていると旧宅の住人は旧宅地で生まれ育った頃の通学、通勤路の街路樹・桜をどんな想いで観ているのだろうか・・・(h26.3.22)

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

も♪〜〜〜♪いくつねると♪〜〜〜おしょうがつ♪ おしょうがつにはたこあげて♪〜〜〜こぉ〜〜まをまわして♪〜♪♪〜保育園児だろうか、ドアを閉めた店舗の奥にも流れてくる。1週間ほど前の嬉しそうな声だったから、正月寸前の今はお年玉オトシダマで溢れんばかりかな・・・。

前日、児童館の職員と名乗る青年が来店し、児童館には独楽やけん玉は置いてあるんだが・・・と言いながら木地玩具を沢山盛ったあけび篭を引っ張り出し、何やら物色していたが、「竹細工の知恵の輪」を自分用にと探し出した。

先程の児童館での遊具が気になったので「木地玩具・皿回し」を取り出して実演してみせると、これも即座にお買上げになった・・・児童館の園児の顔でもイメージしたかのように。

日本海側の大雪の文字を観ながら、青梅街道を走れば、防寒具を身につけても寒気を感じつつ、行く先々の前方左下には所どころに生る真っ赤な実が明るさを放ち幾分寒さを和らげる。見上げれば真っ青な空に体を引き締める。

最後の月の忙しさと言えども、自転車に跨り、都心部を疾走したい気持ちが湧き上がってくるのも例年の傾向だ。午後9時過ぎが帰宅の目処も思考と一体となっている。

午前中に家を出て、ペダルを踏み先に進めば早稲田通りを突き当たりで左折し、目白台を右折して後楽園ドーム横を通って本郷へ。

本郷から御徒町駅ガード下を潜って東上野へ向かい、言問通りを浅草寺裏まで走る。

浅草寺境内で小旗を手にしたガイドの案内による中国人観光ツアー20数人ほどの中国語会話を耳にし、石灯籠の礎石に腰をおろし下町風情に浸っている風の60代半ばの男性に浅草らしさを感じながら更に、蔵前へ行く。

用事が済み、暗闇かけた上野公園の大通りを左下に不忍池をチラチラ眼にしながら突き進むと突き当たり左側に東京芸術大学・奏楽堂が在り、存在感を放っていた。前の小路を50mもすれば上野桜木の交差にでる。構わず真っ直ぐ行けば右手が谷中墓地で谷中中心部を抜ければ団子坂、上りきった辺りが駒込だ。白山通りを15分も走れば老人の原宿・巣鴨地蔵尊が在る。更にチョッと進めば大塚だ。此処から先は往路と同じで、家に向かうだけだ・・・大収穫

走る先々に眼にする赤い実は千両で愛でたくもあるのだが、鎌倉・円覚寺の境内で眼にしたこの時季の仲間は万両で、しかも橙(代々)なのだから流石、ご住職・・・いや、庭師と称えるべきか・・・いや、これらを成すのは瑞鹿山円覚興聖禅寺なのだ

ペダルを踏み多摩川の堤防を流れに沿って多摩川河口に行ったのは10月中旬で、河口の対岸には羽田空港が位置し、飛行機の離着陸を眺めながらも海・太平洋を見遣る・・・暗闇かけるまで・・・こんな光景を意識しての「洲崎の日の出(広重)」だったのかも。(h25.12.29)

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フゥーー・・・今日も33℃超かァーー

 

暑ゥ〜〜イの暑ゥ〜〜イの飛んでけーー

暑ゥ〜〜イの暑ゥ〜〜イの飛んでけーーー

1日中暑さと汗に気を盗られる、長期間の夏を過ごしている。

溜まった仕事もあるのだが、延ばし延ばしとなり・・・爽やかな微風に触れたいのだ。

休日の夕方、熱気のこもる家から飛び出し自転車に跨れば向かう先は感覚的に肌で捉えている川の流れだ。

流れに向かえば、扇風機の風とは違う上流からの冷たい水面を撫ぜる風に一瞬にして気分が和んでくる・・・

時にはその場にしゃがみ、掌で水をすくったり片腕にピシャリとかけたりして冷たさを感じる幸せ。

流れに沿って数キロは走るのだがその途上、お気に入りの持ち場を確保している。

流れに面して置かれた幅の短い背もたれベンチで、1人が両肘をもたげれば余り無く勿論、木製だ。この場は良いことに、蚊に刺されたためしが無い。

夕闇に覆われれば、蝙蝠が忙しげに飛び交い・・・その遥か遠方には赤灯、白灯を点滅させた物体が放射状に動き、頭上を越したり左右に通り過ぎて行く。頭上を越せば更に向こうからは新たな点滅が・・・そう、飛行機だ。

上空には小さな星が瞬き、その遥か下方に白い雲が左から右へと流れる・・・

雲の流れを何とはなしにみていると、次つぎと変化する形が面白い・・・の形が流れていたら角が耳に変わり、が走って形に変わり更に流れて、首が長くなり馬さんに。

来年の干支は午と思案している内に上空は鱗雲(凱風快晴/葛飾北斎)が一面に広がっており、その前方には三筋の筋雲が・・・眼前の背伸びた草は時折吹く川風に揺れてザワザワと擦れ合い・・・ここで、季節の変化を憶える。

山さとはあけび稲穂の風情か〜〜〜

帰るサインでもある。(h25.9.5)