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萬栄丸爺さん三代


初代萬栄丸爺さん


昭和初期
網元【やいむどん】の分家松井万弥が
三軒の松井家で運営していた三松丸より独立
初代萬栄丸爺さんと現三代目爺さん
昭和37−8年の頃。
大漁旗が掲げてあり半袖の
夏服なのでたぶん夏祭り
7月7日に撮ったと思う。

温厚で寡黙な爺さんで、酒、
博打はやらず沖へ出ていれば
機嫌が良い。
当時の漁村では珍しいカナリアを
飼い、鳴き声を聞くのが趣味でした。
一家で何やら作業中??初代の右隣が二代目
一番左に見覚えは?
今でも朝の出船時、手伝いに来ている
二代目の弟。通称(おっちゃん)



二代目萬栄丸爺さん
昭和30年頃の二代目爺さん
二代目爺さんが初代より受け継ぎ乗っていた萬栄丸
この小さな木造船で当時はどの船も3−5人乗り組み
主に剣崎沖のアジ、サバ、富浦沖のムツや洲ノ崎沖の
サバを獲って生計を立てていた。
内房方面で漁が少ないと千倉、鴨川、小湊、勝浦と
魚を追い港を転々と。
良くもまあこの小さな船でと思うでしょうが、
ニ代目の無鉄砲と言うかすごい所は、ニ代目婆さんと
舎弟を連れてカツオ釣りの修行に
なんと本場四国は高知まで行った事。
この事だけは今だに乗り越えられない二代目の厚い壁。

今も昔も雑然とした漁港。 酒と博打と女が好きで
なぜか人情もろかった
二代目
昭和47年二代目新造船進水
サバ漁の水揚げ 当時トップクラスの水揚げを誇っていたらしく漁協からの表賞状や大漁旗が残っている。



三代目萬栄丸爺さん
中学卒業後親戚の鯖釣り漁船に修行に出る
右が三代目。
左は何処かで見た顔ですね。
わからない方はこちら
大島から銭洲近辺で鯖漁をしていた。
当時は船足も遅く一晩で満船にならないと帰港できず
神津島付近に錨泊し二晩三晩と操業した。




浮島

人は歳を取り、人の心も、山は削られ海は埋められ、
変わらないと思っていた自然まで変わる中で
いつまでも変わらないのが浮島の姿。
今は年に1回行くか行かないか爺さんが好きな絶景の場所より望む。