思いやり

許すとか許さないとか、勝ったとか負けたとか、白とか黒とか、

自分は二分割思考だったと、今、思う。

短歌で、

  
99わかっていても100じゃなきゃ結局0と同じことなの

  どうしたらわかってくれるかさっきから必死になって考えている


というのをずいぶん前に作った。

今見ると、あー、かわいらしいなと自分で思う。・・・思うなって(笑)
一生懸命だったな、あたしわかってもらおうとして、と思う。
その頃のあたしは、完ぺき主義で、それを自分にも家族にも求めていた。
なにをやってもらっても、もっともっと。まだ足りないまだ足りない。

そんな感じで毎日を過ごしていた。

白か黒、二つしかなければ物事は単純でどんなに楽だろうと思った。
でも、実際は分類する数が少なければ少ないほど、苦しいのだ。
だいたいパンダじゃないんだから。

ここ数ヶ月、自分が、いざその二分割思考から抜け出そうと
いろいろな努力を重ねていた。
初めて変わろうと思ったのは7月くらいで、そのころは徐々になんとなくしか思ってなかった。
本格的に変わろうとしたのは8月の末からで、実際に変わろうとしたとき、
その苦しさに、何回もくじけそうになった。
変化することが怖くて怖くて、真面目に手は震えるし、足も震えた。
こんなに苦しいならあたしは変わらないままで、どん底にいつまでもいたいとすら思った。

そんな中で思ったのが、さなぎのこと、カエルのこと。
いもむしから、さなぎへ、さなぎから蝶へ。
変体を繰り返すカエル。
おたまじゃくしから手や足が生えて、尻尾が消えて、カエルへ。
2匹とも、あんなに体が変化して絶対に怖くないはずはないし、痛くないはずもないだろう。
ただ喋れないだけで、無言でこんな怖い努力をしている。
怖くないのかな、痛くないのかな・・・。

そしてダンナのこと。

怒らないようにしよう、きみちゃんのために家の中のことをいろいろしてあげよう。
きみちゃんは寝ていていいよ、俺がするよ、大丈夫だよ、しょうがないよ。

そのころは、そんなダンナの変化を”あたしは病気なんだから当然だ”と思っていた。
できていないところも、もちろんあった。
でもそれは人間だから、できていないことがあって当然だ。
みんなにはスゴイダンナだね、すごいよエライねぇ、とことごとく言われた。
もちろん、スゴイダンナだから、スゴイといわれて
当然なんだけど<(。 ̄(ェ) ̄。)> ←オマエがいばるな(笑)
それでもあたしは、できている部分は当然で、
できていない部分はできるようにならないとダメと思っていた。

恐るべし、二分割思考・・・;

ダンナが変わったのは、あることがあった翌日からで、
そのあることは、あたしにとっては人生がひっくり返るくらい嫌なことだった。
でも、その嫌なことをきっかけに、その翌日から、ダンナは180度変わった。
人間が数日で180度がらっと変えるなんて、どれだけ自分を覆さないとダメなんだろう?
ただ、相手のために変わろうとすることが、どれだけ大変なんだろう?
嫌なことがきっかけだったけれど、ダンナは180度変わってくれた。
今回、自分が変わろうと決心して、努力してみて
それがどんなに大変なことなのかということを思い知った。

あたしは、その嫌なことがきっかけで、ずっとずっと、ダンナに愛されていないと思っていた。
それは体を重ねたり、いつも抱きしめてくれたり、単純な「愛しているよ」っていう言葉だったり、
そういうフィジカルなものだけが愛なんだってずっとずっと思ってきたからで、
そういうものを、あたしが思うほどにもらえていない
あたしは愛されていないんだってずっと思ってきた。
愛してよ、ぜんぜん愛されてないっ!!といつも訴えてきた。

だけどそうじゃなかった。

自分はどんなに大事にされて、どんなに愛されてきていたんだろう。
ただ単純に、相手のために、と思うことこそやることこそが一番の愛なんだ。
自分はホント今までどれだけ大切にされてきたんだろう、むちゃくちゃ愛されてきていたんだろう。
あたし、自分のことだけしか考えてなかった。
周りにぜんぜん目がいってなかった。

あたし、思い切りむちゃくちゃ、めっちゃくちゃ愛されてるじゃーん。でへへへ。

じゃなく・・・マジで泣けてきました。
自分の愚かさに、ダンナの大きな大きな、海よりも大きな愛にたいして。

ダンナがよく、

「家族のためにしていることも、子どものためにしていることも、
家の中の家事も、近所の付き合いも全部きみちゃんのためにしていることなんだ」

と言っていたけど、それは全部がダンナの愛だったんだ。
自分ひとりだけが、”あたしは病気だもーん”というところから抜け出せないまま
コタツの中でぬくぬくぬくぬくして、ダンナを寒風にさらしていたんだ。

大きい人だな・・・スゴイ人だな・・・
(単純にスゴイというとダンナに叱られますが(笑)上記のことをスゴイと思ったんです)

そういうことを思ったときに、あたしはできると思った。
あたしは変われる、絶対にできると思った。
怖いなんて言ってる場合じゃない、疲れたなんて言ってる場合じゃない。
あたし、変わらなくっちゃ。
もっともっと大きく、優しく、強くならなくちゃ。


そう、つよく強く思った。


「俺は、バセドウの掲示板に常駐していた頃思ったんだけど、
みんなの気持ちももちろんわかるし、でも、そのダンナたちの気持ちもわかる。
どっちかって言ったら、ダンナたちの気持ちのほうがわかる。
でも、きみちゃんを見て、みんなつらいのがわかってるから、
大変なんだ、つらいんだっていってくるみんなに、
お前らダンナの気持ちかんがえたことあるのかなんて言えなかった」


確かに、人間は一人一人違ってて、思ってることも違えば育ってきた環境も違う。
考えてることなんてもちろん思い切り違うだろう。
完全に、相手のことをわかろうと思うことなんて絶対に無理だ。

だけど、思いやることはだけは出来ると思う。

相手のしてきてくれたこと、してくれていること、いいことも悪いことも
全部拾い上げて、これはどうなんだろう?どういう意味なんだろう?
自分に当てはめてみておきかえてみて、想像して、相手のことを考えて、
思いやるということだけはできるんじゃないだろうか?
相手の言葉・行動を受け止めて、相手に投げ返した時に、
もしも、相手の心のパズルにピースが当てはまらなくても、
それが純粋な掛け値なしの思いだとしたら、信頼として相手の心に残る。
ピースが当てはまったとしたらそれはめちゃくちゃハッピーなことなんじゃないのかなと思う。

いつも、

「きみちゃんはいつもなにかあるたび、もう嫌だとしか思えない」

というあたし。

 「多少はトラブルがあっても、なんとかなるさ、くらいの気持ちでやってるよいつも。ごめんね」

といってくれていたダンナにたいして、

「なんでもなんとかなるさって思ってるからだめなんじゃないの?」

と、あたしはいつも言ってきた。←おろか者め!
・・・・・ありがとう、こっちこそごめんね。
だから、今、あたしは思う、そしてダンナに「嫌だとしか思えない」ではなく、こう言おう。。。


”多少のトラブルがあっても、なんとかなる・・・ね!!”


病気の渦中のあなたに・・・。
今はそう思えなくてもいいのです。
今は大変だから、思えなくても大丈夫。
だけど病気が落ち着いた時、この話があなたの役に少しでもたちますように。。。

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2005年11月24日:みててごらーん

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