改革開放と、西部大開発の比較

ここでは改革開放と西部大開発を比較検証してみます。

T.短期的な発展と、長期発展目標

 78年の11期三中全会、92年ケ小平の南巡講話を経て、中国の改革開放政策は急激に進められ、大きな経済発展をもたらした。90年代の世界におけるGDPの成長率で、中国はダントツの1位であり、年平均10%を超えているのは世界でも中国だけである。<注1>このように改革開放は短期間で飛躍的な経済成長を見せた。しかし、西部大開発は改革開放のように順調にはいかないだろう。長期的なプロジェクトになることが予想される。
 西部地域は東部地域と比べて、あらゆる面で遅れており、マイナス面が多い。長期化する原因として考えられることは、教育水準や、資源が豊富でも経済基盤が弱い点、商品、市場経済の意識が東部と比べて差が大きいなど、挙げればきりがない。当面の目標は全体的な生活レベルの向上であり、ある程度の改善を得て、そこで初めて新たな発展を模索することができる。2段階発展が必要である。ゆえにまずは西部地域の農民の「小康」が優先される。
 また、改革開放開始のころと比べて、当然のことであるが、世相が変わっている。改革開放というのは、文革によって、国内が混乱し、物資がない状況から始まった。しかし、西部大開発は、消費者物価の慢性的な下落、生産過剰の状況下で開始される。また、8〜90年代はアジア全体が高度成長を遂げた時代であり、それによって外需が支えられ、輸出が大きく伸びた。しかし、現在は、97年に起きたアジア金融危機から完全に脱却できていない国や地域もあり、外需があまり期待できない。そして、西部大開発が行われる周辺地域に、大きく経済の発展した地域がない。香港、台湾、日本といった地域や国の資本は、近隣の中国に対して、その地理的優位から積極的に沿海部に投資をしたが、現状西部地域に対して、地理的優位から積極的に投資をする地域や国がない。深センやアモイのような経済特区を作ろうにも、適した地域がない。重慶に上海浦東開発区と同等の優遇政策を認めるが、その地理的な面から、浦東開発のように積極的な役割を果たすことは考えにくい。さまざまな面を考慮しても西部大開発は一朝一夕にはいかないだろう。ゆえに西部大開発は長期戦略として位置付けられている。

U.西部大開発の意義、可能性

 このように比較してみると、西部開発のマイナス面だけが目立ってしまう。つまり、西部大開発と改革開放は全く別物ということの表れである。今後行われる政策の有効性について、比較すること自体が無意味かもしれない。同時に、あまりにも改革開放が成功しすぎた。改革開放以上の開発ができる可能性は低く、同様の開発すらできないだろう。だから、西部大開発に対して悲観的な見方が多くなるのは仕方がなく、また改革開放と比べては意味がない。西部大開発に急速な発展は必要ない。着実な発展によって、最終的には完全にとはいかなくても、現状の東西格差をある程度縮小させればそれでよいのではないか。あれだけの国土と人口をほこっている中国において、日本のような地域間格差の小さい国に変化させるのはおそらく不可能だろう。現段階では地域間格差を考慮した上で、各地域に個別の政策が採られている。今後、展開によっては各地区にブロック経済圏をつくるところまで発展する可能性は十分にある。ブロック経済圏が設立されれば西部大開発は更なる進展を見せ、西部のなかでも貧困地域を、より重視したプロジェクトに移行することも考えられる。
 今後の西部開発は改革開放とは異なった可能性も秘めている。対外貿易の面では、陸路を中心とした国境貿易の拡大が見込まれる。この国境貿易は沿海部の紡績を中心とした輸出の構成とは異なる。ベトナム等の主にASEAN地域への輸出は近年増加傾向で、飼料、化学肥料、オートバイなどである。四川、重慶地区が特に優勢を保つこれらの品目での更なる貿易拡大が期待される。さらに、長期的な視点で見れば、四川、重慶地区が周辺諸国に対し、飼料、化学肥料を輸出することによって、農村を中心に地域開発まで発展すれば、さらなる輸出の拡大を期待することができる。
 また、これまで資源はあっても機会はなかった天然資源開発においても、外資に優遇措置を認めたこともあり、いよいよ本格的に始動し、インフラの開発にともない全国的な普及、流通を目指すことになるだろう。
 このように地域の開発が行われ、生活レベルの向上、消費構造の変化をもたらすことによって、これまでマイナスの面で語られることの多かった人口の問題も、これまで潜在的だった購買層が、本格的に購買層として機能することになれば、現在中国が抱えるデフレ、過剰供給問題を緩和、解決させる糸口となるだろう。

<注1>世界銀行発表の統計

<2001年1月> 


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