中国の企業体系は1949年の新中国成立から、文化大革命、11期三中全会、十四全大会を経て、大きく変わっている。まず大前提として、中国は社会主義国家である。いや、だったと言ったほうが正しいか?まあ、ここは個人の判断に任せます。中国企業のガバナンス機構は日本と全く異なっている。新中国は成立以降、全企業が「国営企業」であり、全労働者は公務員というわけだ。これがまず大前提。中国には現在大きく分けて4種類の企業が存在する。「国有企業」「集団所有制(郷鎮)企業」「私営(個体)企業」「三資(外資)企業」である。よく見ると、これはおかしいことに気づくであろう。どうして社会主義中国に「私営企業」や「外資企業」が存在するのか?そのことについて時代を追って説明してみよう。
49年共産党政権樹立後、中国は社会主義国家を設立した。設立当初の中国は、当たり前のことだが、社会主義国家、コミュニティのなかで、雇用、労働、医療福祉といったものが保護されていた。悲しいかな、マルクス・レーニン主義というのは理想としては完璧に近いものがあるのだが、現実はそうはいかない。コミュニティ、国営企業の抱える負担はやがて、どうにもならなくなる。そして、文化大革命。社会主義中国はにっちもさっちもいかなくなる。そこに現れた救世主ケ小平、78年の11期三中全会で権力を手中に収め、一気に改革開放を進め、外資の導入を図るなど、「国営企業」の大改革をはかった。こうして「三資企業」「私営(個体)企業」が生まれた。
「三資企業」とは「100%外国資本企業」「合弁企業」「合作企業」である。「合弁企業」とは中国と相手国がそれぞれ資本を出し合った企業。「合作企業」は、中国側が、資本は出さず、土地建物を提供した企業のことである。現在沿海部で大発展しているのは周知の通りである。
「私営企業」「個体企業」はともに非国有の私営企業だが、違いは従業員数7人以下が「個体企業」それ以上が「私営企業」。
80年代に入ると「集団所有制企業」がでてくる。「集団所有制企業」は、前身は主に毛沢東の時代の「人民公社」だった。それが解体されて、形をかえて郷営、鎮営(郷・鎮は日本の村・町にあたる)の「郷鎮企業」となった。この「郷鎮企業」は「国営企業」をリストラされた雇用を吸収するのに、大きな役割を果たし、多国籍企業に成長している企業も多い。主に江蘇・浙江省で大発展している。
その後、天安門事件を経て、姓「社」姓「資」論争(一体中国は社会主義なのか、資本主義なのか)の中、ケ小平の南巡講話で改革開放がさらに加速される。そして、92年の十四全大会で、正式に「国営企業」が「国有企業」に改められた。「国営企業」は、経営権、所有権がともに国にあるが、「国有企業」は、所有権は国にあるが、経営権は企業にある。現在は株式制に移行している企業も多い。しかし、多くの「国有企業」は依然としてリストラを果敢に行っているものの、その福祉、年金等の制度による慢性的な赤字を大きく抱えており、更なる改革が必要とされている。最近の情報によると、近いうちに「下崗」(レイオフ、一時休暇)を廃止するらしい。これによって、完全な失業者が大量に増えることになるだろう。
今後の展望としては、朱鎔基首相指導のもと「抓大放小」政策(大企業に力を入れ、小企業は解き放ち、独自の道を探らせる)によって、国有企業改革がより加速されることになるだろう。わかりやすく言えば、大企業の面倒はみるが、小企業は知らない、というわけだ。しかし、「長虹」も「海爾」も「康佳」も元は皆小企業だった。
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