図を見ればわかるように、《帝系》によると、伝説上の顓頊帝の祖父に当たるのが、蜀山氏である。さらに《帝系》によると、昌意は若水に降臨したとされている。若水は現在の雅礱江に当たる。
《呂氏春秋》の古楽には、顓頊帝は若水で生まれたと記されている。
《山海経・海内経》によると、黄帝は、雷祖を妻とすると記されている。字は違うが、発音はともにleiなので、同じ記述と言うことができるだろう。そして、韓流を生み、その韓流は、淖子を娶り、顓頊帝を生んだ。淖という字は、蜀という字に当たる。
《史記五帝本記》によると、黄帝と蜀山の関係は、統治民族と土着民族の関係であると記されている。
これらの記述が確かかどうかはわからないが、五帝の時代にすでに蜀は中央集権体制の中に組み込まれていたと言うことができ、昌意降臨が事実だとすれば、蜀はそのなかで重要な地位を占めていたということができるだろう。
三星堆遺跡の発掘により、蜀の地に独自の文明を持った、古代王朝が存在していたことは証明された。今後、三星堆遺跡の解明が進むにつれて、五帝、中華民族の祖とされる黄帝との関係が見えてくる可能性もある。今後に注目しましょう。
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