金庸とは?武侠小説とは?
金庸とは?
一言で言えば、中国人っていうか、中華系民族で、知らない人はいないというくらい、超人気の流行作家です。
おそらくこのサイトに来る人は、みな金庸のことを知っていると思うので、今更詳しく説明する必要はないかもしれません。でもそれでは手抜きなので、一応説明します。金庸の本名は査良繧ニ言う。彼のペンネームは「縺vの字を分解して、金庸としてことは言うまでもないだろう。彼は1924年浙江省海寧県に生まれる。55年に『書剣恩仇録』を発表した後、『射雕英雄伝』などの武侠小説で、一気に人気作家になる。しかし、『鹿鼎記』を72年に発表し終えた後は筆を置いてしまい、それ以降今日に至るまで作品を発表していない。
現在中国において、金庸は文学者として、かなり高い評価を受けていて、金学なる金庸研究の学問も存在しているらしい。ただ、私個人的な意見だが、金庸の文学は、「大衆文学」としては、完璧に近いものがあるとおもうが、これが、いわゆる「純文学」かと言われれば、おそらく「NO」であろう。
金庸の作品について、あれこれいう人も多いかもしれないが、私個人の金庸文学の解釈としては、あまり難しいことを考えずに、単純にストーリーや登場人物を楽しむものだと思っている。
武侠小説とは?
さて、武侠小説の定義であるが、これはどうあるべきだろうか?架空のキャラが登場する時代もので、武術の達人たちが暴れまわる、任侠の物語を「武侠」ものと言ってしまっていいのだろうか?はっきり言って、武侠小説って、非常に曖昧なものだと思います。おそらく、武術の達人が、悪人をやっつけるような勧善懲悪ストーリーは、ほとんど「武侠」ものと呼ばれているのであろう。実際はどうでもいいのかもしれない。そこで問題になってくるのは、ネットサーフィンをしていて、よく(?)見かけるのだが、80年代に少年ジャンプで大ヒットした漫画、『北斗の拳』は武侠小説か否か?である。武芸の達人が、悪をやっつけるストーリー・・・ 「武侠」ものであるような気もしてきた。じゃあ、『聖闘士星矢』はどうなるんだろ?あれも武術の達人たちが、悪をやっつけるストーリーだから、やっぱり「武侠」もの?どうでも良いことですが・・・