古今東西を問わず思いつくまま画像を中心に掲載します
磁石式電話のお話
まずはなぞなぞからいきますか?
下の写真をみてこれがどこで使われたか考えてください!
@正面より | 横面より |
A有るトリガあった時の正面 | 有るトリガあった時の側面 |
どうですか---おわかりになりましたか?
解答
今は自動でダイヤルを回せば(プッシュホンは押す)つながりますが、
昭和20年代は方式が古く接続方法が違いました。
●昔の電話のかけ方
@まず送受話器をあげ、電話機に有る磁石式発電機のハンドルを回す。
Aハンドルを回すと電気が起き交換台の表示器が上記写真の@からA
に変化し発信者を確認する。
B交換手は接続先の番号をお客様より聞いてその方面のジャクに接続線
を挿入し相手交換手に着信相手を知らせる。
C相手交換手は該当のお客様ジャックに接続綬を挿入し接続ガ出来通話
が開始されます。ようはお客さま毎にこの装置がありました。
正解はお客様の意志表示器でした。
昔はお客様毎にこの表示器がありました。
下記の写真が発電器を備えた電話機と昭和20年代の交換風景です。
真知子巻きの流行った年代でした。
右側のハンドルを回し発信したい意志を告げます。
これが昔の手動交換の風景です。コードの先が上の写真が個人、
個人に割り当ててあります。
髪の毛下半分カールが流行りの小町巻きです。
日本標準時のお話
皆さんもご存知のようにJJY(日本標準時)が廃止されます。
寂しい限りですが個人では何も出来ません。
JJYは茨城県八俣送信所よりKWで送信されています。
送信所の風景画像がなく残念ですが素晴らしいワイヤー系の
ANTが多数設置されています。
隣接してKDDの送信所があります。
開局当時は板極真空管で電波を発射していましたが、今は
終段は半導体に変更されました。
標準発信器は所沢にあり、送信所まで有線で伝送され常に正確な時の
刻みを送信所より発射するスタイルです。
左の写真がJJY終段板極 真空管 8F71Rです。 これでウンKW連続送信です。 大きさが想像できませんが 下側の直径は約20cmです。 |
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右の写真は前段の同調回路部品に使用 の連続可変コイルです。 全て自動で最適にチューニングされます。 この部分で500W〜1KWの出力で 終段を押します。 |
電話機のお話
●電話機は米国のグラハム・ベルが1876年(明治9年)に発明しました。
電話機は米国のグラハム・ベルが1876年(明治9年) |
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右の写真が国産第一号電話機で明治11年
に作られました。 実に発明から2年とゆう短い期間に完成出来るのは国民性 でしょうか! 磁石式電話機第一号 |
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これが壁掛け式電話機です。 明治32年につくられました。 真中の円筒が 送話機で、左側 にある懐中電灯みたいのが受 話機です。 一番下にある 箱は送受話用 蓄電 池が入れてあります。 |
これがハンドルを省 略し受話器を上げるだ けで交換台に繋がる 改良型で共電式と呼 ばれました。 明治36年製 |
上記電話機が使用されていた時代の 花形職 電話交換嬢の交換風景です。 昔は郵政省配下でしたので、郵便局の 中に交換台が設置されていました。 こんな状態が昭和40年台まで続きますが ある技術改革が起き大変な時期を迎えます。 それは次回に記載します。 |
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