忙しい日々を、お過ごしのことと存じます。

いろいろ経験をしてきましたなかの怖い体験は、忘れえぬ自分の思い出として心に残るという印象を持っております。二月ころの話です。いろいろな問題も解決でき、貸家も買い、金も少しは造れて、私的なことにも身を入れたい。仕事一筋とはいいませんが、自分なりに世間様に、必要とされる人間になりたいし、そういう立場に、自分を置きたいと考えていました。何度も振られたものの、また懲りずに、未練たらしく、

電話で、女性をスキーに誘った時の事です。「安比に連れてってもらえないので、しょうがない。じゃ、行ってもいいです。」ということになりました。私は、単純に喜びました。この女性とは、一目惚れではありましたが、「あんた、貯金いくらあるの、わたしは、40万あるわ。」といわれ、私はたんなる客としか考えていないと判り、甘い恋の夢は無残にも散ったと判らせてくれた正直者の女性でした。というより、その女性は、もともと恋愛感情は、まったくなかったようでした。

ところで、私は、スキーを一度もしたことがありませんでした。弟のスキー用品を借りて少しやり方を聞きました。私は、運動オンチとは思ってはいましたが、弟が、「あんなの簡単、スケート滑れるのだから、大丈夫だ。」ということを信じるしかなかったのです。スキーの板を車に乗せる練習をして、日曜日には、ほぼ、かなりの日数で、夕方には、おばあちゃんを病院に連れて行くというのもその日はないので、安心してスキーに行けると思いましたが、これが間違いの始まりでした。雪が降っていて、白銀は招くよと軽い気持ちで向かったようでしたが。

しかし、彼女は浮かない顔をしていました。私はそれを無視するように、車の中では自分ひとりでしゃべり、はしゃいでしまいました。まず、猫魔スキー場に来ました。車の多さにびっくりしました。恥ずかしいことに、リフト券を買うということさえも知りませんでした。

またびっくりしたのが、リフトに乗るのが、スキー板を履いて乗るというのがわからなかったのでした。リフトは歩いて乗ると、かってに考えていました。滑るよりまず、リフトに乗るだけで、冷や汗びっしょりで、自分の至らなさに、また世間知らずであったことを思い知らされました。

4つリフトを乗りついて、いざ滑ろうとしたら、どうみても、急でまっ逆さまにしか見えなく、これをどうして降りるというのだ、足が動かなく、彼女の「おいで。」という声がしたようでもあるが、足が動かない。軽い気持ちでスキーを誘った、軽薄な自分を、その時には自分を呪いました。まあいいか、どうなろうとも声のしている方向に滑りましたが、あえなく転び、スキーの板だけ、気持ちよく滑って行きました。

スキーのうまい人をそのときばかりは、羨ましく思いました。

足は痛くて、かっこよくレストランに連れて行こうとも、手前の立ち食いみたいな所にいくのがやっとで、何が痛いのか解らず、ぶかっこうな始末で、はずかしいやら、痛いやらで、散々足るもので、どこかの国に、逃げていきたかった思いがしておりました。帰り道でも後悔の念を隠せませんでした。と、

ここまでなら、どこでもある話ですが、本題に戻りますが、エクソシストという怖い映画を思い出してください、かわいい女の子が、みどりの液を吐くやつがありますが、それよりも、この後もっと怖い恐怖が私を待っていました。

事件は、そのスキーの帰り道に起こりました、辺りは真っ白で、道路が見えにくいので、いつもより集中して前を、見て運転をしている時でした、「あんたね。」と別なところから声が聞こえました。

すると、左にいるはずの彼女がいないではないですか、頭の中は真っ白くなったと同時に、目の前が真っ白くなって、雪で周りが白いせいなのか、何秒間か、景色が消えたように感じました。背筋がこうりつき、必死でハンドルをもち、アクセルを踏んでいるのを、自覚しようとしましたが、感覚がなく、ひょっとすると事故で、俺は死んだのかと思いました。ここは死後の世界か、私の目の前から、風景の色さえも無くなりました。少し時間が立つと、彼女の足が見えて現実に戻れたなとおもいましたが、ほんの一瞬の出来事ではありました。

いったいあれは、なんだったのだろう、たぶん、疲れているのだなとは思いましたが、見ようとしても何も見えないので、何が起こったのかわかりませんが。そのうち、目の前の車が見えてきました。今の出来事が何であったかわかりませんが、雪道を車で走っているときですから、事故でも起こしたら、たとえ軽症といえども、私は、自分の責任だし、どうでもいいのですが、彼女だけは守りたい、私との付き合いが知れれば、安比に連れて行かないから別な人と、猫魔スキー場に行ったとわかれば、郵便局の大事な友達を失うだろうし、かっこいい郵便局の男性には無視され、局の皆さんからも、次第には、いじめにあうだろうかもしれないので、なんとしても事故だけは、防がなければならない。

長者、咲田町まで着て、初めてほっとして、ようやく声が出ました。あくまでも空想ではありますが、その時、一瞬のできごとではあったことの内容とは、運命が、この女性と付き合わない代わりに、記憶を消したようにも考えられます。

彼女とは、私の運気を上げてくれるので、もっと付き合いたかったのですが、今まで、困ったときの心の支えとなってもらったことでもあり、人の気持ちは変えられないので、つらくとも、諦めました。以来、目の前から、運転中に、色がなくなる恐怖というものは、エクソシストや人間の脅す恐怖、幽霊、亡霊の類のものより怖いことでありました。よくよく考えれば、本当の恐怖というものは、人間の信頼を無くす事かもしれません。後になって気がつくことですが、その時までに私は、信頼をなくしていたのではないかと気がつきました。体験して、初めて身にしみてわかったような気がしております。

でも、少しうれしかったのは、今は生きている、そして、彼女は怒っているかもしれないのですが、意識してもらったということで、こんな私でも、影響力があったことが、何故かうれしく、喜びで感極まりました、最高の思いでで、お袋の味に何年かぶりに、味わったという感じで、あふれていました。

それは、期待感を裏切ったことになったわけではありますが、やっと存在を認めてくれたことでもあり、私は、うれし泣きしたいくらい、今では楽しい仕事ですが、当時は嫌になっていました。

仕事を通じて、こんな女性とも出会えるという夢を、見れたということだけでも意味がありました。

現在の社会経済は、創意、工夫が必要です。旧制依然としたシステムは、時代的にそぐわなく、無理が生じてきました。景気がいいころには、同じことを続けていましたが、レベルアップからバアジョンアップへと、移らなければならない時代に、さしかかろうとしています。生活が便利にいくらなろうとも、技術や文化風習が変わろうとも、最終的には、コンテンツ(中身)であろうと思います。人柄や人格が伴わない限り、人を集めることは、難しいのではないでしょうか。

しかし、私の場合はというと、仕事が終わって夜の七時くらいから登るということもある、冬山が面白い、登山が好きです。私の庭と思っている安達太良山を登る場合は、まず、靴下、手袋、耳を覆う防具が何度も交換して体温を保つためにも、準備が一番大切になります。山スキー板にシールを張ります。特殊な靴をつけて、頭に電球を着けて、防寒服を着れば、ステッキを両手で握り締めて、後は食料になりますが、まず、握り飯で、梅干入り、海苔を絡んで、新聞紙で包みますと食べるときには、程よい湿気で、食べるときには、ふっくらしておいしいです。

後は、丸善ソーセージと、きゅうりの漬物と、忘れちゃならないのが、ビールと、もしもの時の、チョコレートで、準備完了です。スキー場を過ぎても、登りつづけるので、はるか下に、ゲレンデで、気持ちよさそうに滑るスキーヤー達とは、さようならしますと、自分ひとりになりますが、傾斜面35度もなんのそのと、すいすいすらすら登る、快感は、スポーツとは、縁どういような私でさえ、楽しめます。晴れた日には、太陽から六角形の光が、まぶしく目に飛び込んできます。何度も下着を交換して、汗のない、リフレッシュした気分になります。

晴れた日の冬山は、すがすがしく、晴れ晴れしていて、爽快な気分になります。辺りは、白鳥の毛の上歩いているようで、横殴りの風が雪化粧を吹き飛ばして、鳥の翼のように羽ばたいているように見えます。暗い山道を、歩いてたどり着いた山小屋では、みんなが迎えてくれます。結婚式のヒロインという感じで、つらく苦しい登山道は、バラの花道であったかと思うほどに、報われます。途中で休みと食事になりますが、ホテルの最上階にあるレストランのフルコースなどより、割烹料理の老舗の味より、絶対おいしい、おにぎりをほおばって、ビールを流し込めば、体中に、気持ちよい性感帯を伝わり、快感が走ります。下界でいうところの、仕事において大きな仕事をものにしたときの勝利のワインのようなもので、気分爽快になります。

しかし、どんな仕事も、最後には、能力、才能、運より、根性であると思います。肉を切らして、骨を残す、貫く精神でしょう。辛くても、やり抜く、責任感を持ち、逃げるときは、死ぬときです。でも一つだけ、たとえ他人でも情けを必要としたときには、ためらいなく、情けをかけようと思います。私も、「情けない。」といわれないように。

以前、あなた様のお母上様に御会いしました時の、私の感想になりますが、どんな人をも、高く評価してくださる人であり、一度会った人は、期待感を裏切らない努力をしようという気持ちにさせる雰囲気を持ち合わせている、職業は小学校の先生という感じがしました。ある郵便局員の恋愛というと、郵便局業界は厳しく、周りは全員つらく当たり、そこで、一人優しく接するということでもなければ、恋愛感情を抱くことはないのだろうと思います。要するに、協力者により、意図的に恋愛感情も作れるのだろうと思いますが。

私の性格は、他人のために、ヤクザたち数人の組事務所立ち退き交渉を、一年くらい、かかって解決をする、お金がなく弁護士を頼めない人がいれば、無料で訴訟申請や、登記申請、道路位置確認申請、トラブル解決を、専門家が逃げた、問題も解決するまでやり遂げるまで諦めずに、利益なしに行動するため、同業者はおろか、誰にも追随を許さないといえば、聞こえがいいのですが、馬鹿としか言いようが無いことも、世のため他人のためと自分よがりで突っ走ること間々あります。それも、まんまと、ヤクザ達を、追い払うことが出来ましたときに、ヤクザ達に言われました、「金でも、脅かしにも動かない、女でも動かない、このまま出て行くのもカッコつかねえ、俺の友達になってくんにがい。」それはヤクザの顧問弁護士にも勝つことができたというわけでもありますが、裁判官にも、法律がおかしい、法律が間違っていますと言ったら「間違っていますが、法は法です。」といわせるまで諦めません。損得で動かない代わりに、強者を叩きのめすこともでき、弱い人間でも正しい人と思った場合は、どんなことをしても、助けたいと思ってしまいます。強い人間が金持ってきても、こととしだいでは断り、後で悔いることもありますが、性分と思っております。まあ馬鹿な人間の一人です。決して利口な人間ではありません。

私は健康で、暮らしていければ、ほしいものなど、これといってありません。仕事を達成した喜びは、確かにうれしいのですが、他人を押しのけてまで、達成しょうとは思いません。逆に、私が入ると同業者が譲ってくれたり、後で金を持ってきたりします。どこからともなく、困った人ができると、私を紹介してきますので、仕事は、不動産屋ではなく、困りごと相談所みたいで、釘一本の値段の見積もり相談から、税金関係、破産、夜逃げまで相談に来るので、暇があればいかなることでも詳しく勉強していますし、私は、ひけば良いのに、普通の人の何倍もいろんなことを経験で体験しているので、自分の失敗が他人に役に立てるのかなと思って、調子に乗っていると判りつつも、引き受けてしまいます。それも、助けてもらった人は、忘れてもらって結構なのですが、紹介者で何人も、困った人を紹介してよこす人達がいて、後が絶たないので、たまらず「困った人は、いいから、金になる人よこして。」と言ったら、「大塚さんは、死んでなくちゃいけない人なんだから、他人のためになんなくちゃなんねいし、金持ちは俺より知ってっぱい。」と言い返されてしまいました。確かに、幼少の頃より、短命と医者に言われてきました。どういうわけか、ケチな金持ち達とは、長く付き合うことになっていますし、付き合いは普通の人よりは、多いかもしれませんが、私も、少しは金になる仕事もやりたい気持ちになる時だってあろうものです。でも、こんな、おもしろい仕事をつずけてこれたのは、彼女と出会うことがなければ、今日まで面白い人生を歩んでこれなかったでしょうし、間違いなく辞めていたことでしょう。その道、業種、専門分野においては、物凄く仕事ができると、優越感を感じながら、楽しく仕事ができることになります。

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こんな不動産屋も、十五年まえには、一年目で辞めようとしていました。

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読書をしないでいますと、徐々に行動力のほうが、理屈より勝ってきます。何度失敗しても、創意工夫をして、おもしろくて、気がつくと、朝になっていること度々、たいへん恥ずかしい大人であると、自分を考えるときがあります。わからなくなると、夢中で、解かるまで、追求したくなる性格は、どうしようもありません。数々の書物で解らなくなれば、出版社まで電話をして、プロバイダー、各メイカー、電器屋、著者までに及びます。仕事も、市役所、税務署、法務局などと、確認してこないと気がすまない太刀なので、馬鹿につける薬はないのでしょう。

では喜びとは何でしょう、苦しみから逃れたときではないのか、緊張感がなくなったことではないのかと思います。成功することにおいて、喜びが沸くというのも、到達したという将来において苦労がなくなるということで、やはり、苦しみがなくなることで、今の状態より苦労がなくなるという、苦しみから逃げたときということになります。家族の一人一人を尊重して、家族の協力の下に、仕事一筋に専念することにより、苦しみ、戸惑い、挫折の中から知恵を出して、成功した仕事には、初めて、苦い酒の味が、甘美な味に変わり、体全体に快感が走り、さまざまな欲望から、満たすことができないことによる不満を乗り越え、それぞれの人間が持っている、個性という自分だけが持つ性分には、自分だけが持っている孤独も、一緒に共存しておりますが、仕事による勝利は、それらすべてを、一瞬に打ち砕いてくれます。

来年も、仕事で勝利をつかみ、勝利の美酒に酔いしれましょう。そして、本当にうれしいときには、自然と涙が出てきます、これが感動というもので、悲しいときに流す涙は、まだ余力を、残してます。これが本当に苦しくなると、息が重苦しくなってくるもので、涙など流している場合でもなくなります。本当に困ったときには、涙が出ません、なぜこのようなことがたいせつであるかと申せば、そこまで理解できれば、他人の苦しみを、わかることができます。取り立てて、才能もない私が、気ずかうことといえば、他人に対しての思いやりくらいしかないでしょう。では何ゆえ、このようなことを、お伝えしなければならないかといえば、私というものは、確かに、いやらしいところも少しはありますが、まじめで、物事を真摯に受け止め、なければならないなか。

時は、二十年前になります、堀込という、やくざ風の男会ったのは、「こちらがーー測量ですか。」と、品があるんだか、鼻にかかった声がした。測量の依頼が来た。引き受けて、飯坂という温泉街の旅館の敷地を、測ることになった。当日朝早く、現地に着くと。また、天井に抜けるというか、すました上流階級かぶれの声で、「お待たせいたしました。」と小さなバックを片手に、コートを、袖をとおさないで肩で着た風に歩いて近ずいてきた。やくざの親分という出で立ちであった。境界の説明を聞くや否や測量にかかった。またその男が擦寄り、「先生方、コーヒーでも、お飲みになりますか。」「はい。」と答えて、コーヒーが来るのを待ちながら仕事を進めていたが、いこうに、缶コーヒーが来ないではないか。同僚の一人が待ちきれず、「コーヒー遅いですね。」「うー、当てにしないほうがいいよ。」と答えて、みたものの、もう少し待ってて来なけりゃ、私が買いにいくべきだと考えをまとめて、切りいいところで私が行動すべきであり、行こうとした。その時である、遥か向こうの方に人影が見えた。若い女性で、ウエイトレス風に見えた。間違えなかった。左手にお盆と、その上には、コーヒーカップと皿が四人分あった。右手には、魔法瓶を持っていた。近寄ってきた、はっと思った。風がビュービュー吹いていた。枯葉が空中を舞いながら、彼女の顔にも一枚張り付いた。彼女の顔が、私たちをにらんでいるふうにも見えるが、気のせいでのなく、目の前に来たときには、彼女の目に、うっすらと涙が、にじんでいたのに気がついた。無言でコーヒーを入れて、私たち一人一人に、差出した。そのコーヒーをすまなそうに私たちは、飲み始めた。彼女が帰り際に、私たちを、にらみ涙を見せたまま、体の向きが変えた後にも、私たちを、憎らしげに見つめていた形相は、今でも忘れられるものではありません。野外仕事において、コーヒーと考えて、本物の入れたてコーヒーを飲むことになった経験と、うら若い少女の涙が、嬉しいというよりも、私たちも犯罪者にいつもなれることを、教えられた思いだった。どうせ無理無理に、堀込という不動産屋がマスターを脅かして、喫茶店からコーヒーの出前をさせたのだと思うが、辺りは吹雪を思わせるような木の葉が舞うときに、普通には、頼めないことで、やくざ風の男と、少女の涙にも、微塵の哀れみを感じない堀込という男にしかできない芸当というべきだろう。測量時代に恥ずかしい経験をさせてくれた堀込という男と同じ職業をしている自分は、そこまで残忍にはなれないと思いながらも、世間は同じ穴の狢(むじな)としか見てはもらえないと思うときもある。たまに堀込と会うときにいつも、少女のにらみつけながら流していた涙は忘れることが出来なく、その時の事を思い出させてくれるが、少女の涙をのぞけば、面白い話で終わるのだけれど、いつの日にか、そのときの少女が女社長になり、私たち男を、ののしり、怒ったりして、逆にいじめられても、同情の余地はないのは当然のことである。一度その男と、地上げに行ったことがある。高級車を乗り回すところは、まさに弱いものいじめそのものという有様で、古びた家の玄関というか、単なる戸ではあるが、はじめたとなると、私はかってに緊張しまくった。堀込は言った「いいですか、行きますよ。」といったか、戸に足がかかったと思いきや、バッシと足だけであけて見せた。「ばばあ、豪邸に住んでみねいかい。」と堀込は、つぶやいた。高飛車ないいように、唖然としたのか、老婆は、少しのまあいをっとて「おらあも、そおしたいね、できるもんなら。」意外と話が早かった。ただ、そのあとに、その契約は、買主のほうからの、断りがあり流れた。案ずるより生むが易しとはよく言ったものである。普通なら、相手の意向を、重要視すべき態度が当たり前なのである。あとで強気に言ったわけを聞いたら、下品と相手がわかれば、こちらも下品にいくのが得策だということを聞いて、動物的な本能をもっていると私は考えてみるしか出来なかった。世の中には、やさしいばかりで、うまくいく場合と、強引ではあるが、短刀直入にいってうまくいくいくことを、初めて学んだ気がしました。堀込という人間は、ただ残忍な男というイメージしかなかった私でしたが、ある意味では、私のような偽善者ぶったことのなく、なかなかよい人だという評価をする人は、確かに少ないであろうが、私には、ない気楽な考えが、行動力となり、うまくいくこともあると、それだけは、感心したし、ただ良し悪しで、人を判断できないと、反省を込めて思った。