結局、何を伝えていくのかなと思ったとき、
   それは自分しか ないんだなって思ったね。

<’85頃インタビューで>


お前も頑張れよな。しっかりと地面に足をつけてさ、
お前の両目をしっかり 開いてさ。
そうしてお前にとっての真実を、幸せをみつけてくれ。
決してあきらめずにたくさんの真実を抱えて・・・。

<’85頃>


エンターテイメントの無い奴は、ステージやっちゃ
いけないんじゃないかなと、俺思うもん。
非常に自分がアーティスティックになってやるっていうのも
大切なんだけど、客あってのステージだからね。
客サイドに立って、自分がどういうふうに見えるかっていうのを考えて
ステージ構成していかないとダメな訳だから。
2時間の中で喜怒哀楽をださなきゃいけない訳だから、
そういう意味での エンターテイメントっていうのは、
これはもっともっと 追求していかなきゃいけないと思う。

<’85 HUNGRYツアーを前に>


最近、子供が欲しいんだよ。
ステージに一緒にいたいと思ってさ。
ここに、これっ位の男の子が居たら最高だろ!
俺と全く同じ髪型してね・・・。

<’86 STAY DREAMツアーより>


俺のいう「夢」は、生きていく中で出会う、
いろんな障害に打ち砕かれても、また『ヨッコラショ』と
立って進んでいくということ。
「夢って何だかわかっているの?」っていうのがあるよ。
俺だって何かわかんないけど、
大変な事だよって言いたいんだよね。

<’86 「STAY DREAM」ツアーの頃に>


今の歌って、痛んでないよ・・・。
歌の中に全然痛みがない。
悲しみがない。それが悲しくて・・・。

<’86頃>


ずーっと、ここ6,7年ステージ活動やってて
伝えたかった事は、本当に簡単でさ・・・、
本気っていう事なんだよね。

<’84頃>


俺、31歳・・・、俺の生まれた所は九州の片田舎の鹿児島・・・。
そこを離れて、まぁだいぶ経ってしまったけど
よく言われるんだよ!
「お前は頭のてっぺんからつま先まで、よく突っ張っていきてるな」って・・・。
それでも、自分に正直に精一杯思うがまま生きようとすると
とかく人にはそう見えるらしい・・・。

東京って街は、妙な街で・・・、
満天の星空も、綺麗な月明かりも無いくせに
一丁前に、はったりばかりの街でね・・・、
まぁ、こんな田舎者のヤセギスの俺には少々、風当たりの強い部分もあるけど
夢を選んだのだから、やるしか仕様がない・・・。
今、東京は6階建てのマンションの一番上に住んでるんだけども
たまにツアーから帰ってベランダから、すぅーーと空をみると
想いが・・・、俺が小さかった頃・・・、鹿児島時代へ
すぅーーと、たぐり寄せられるときがある・・・・・・。

山や・・・、たんぼや・・・、茶畑や、少年の目線で見ていた
どうしても、どうしても飛び越えられなかった塀の高さや、
5円玉握りしめて思いっきり、かけあしで飛び込んだ雑貨屋・・・、
そこにいたおじいさんや、おばあさんの事・・・・・・・。

帰ろうかな・・・って思うときもあるし・・・・。
六畳一間に俺と姉ちゃんと親父とお袋と・・・、
それが俺の家族。
まぁ、最も今みたいに裕福じゃなかったけど、
親父は相変わらずつるっぱげの頭に白いヘルメットかぶって、
125ccの真っ黒いバイクで・・・・・・・・・・・・・・・・、
相変わらず、お袋は壊れはじめた体を
いたわる様に、弱々しく生きています・・・。

30ヅラぶら下げて、少々気恥ずかしい気もしますが
私も、生まれた町並みの匂いの事や、家族の事や、
そんな事を正直に唄いたくなったんで
聞いてください・・・、「LICENSE」・・・・。

<’87ツアー大阪公演MC・「LICENSE」の前奏で>


ところで、「親子ジグザグ」って見てた?
まぁ、俺の場合は、食堂屋とかラーメン屋とかね
ああいう役ばっかりでね、それでも街並みに
溢れてる出前持ちの白衣、衣装ね・・・
あれ程セクシーに着こなせるの
俺ぐらいしか居ないんじゃないの!

<’87ツアーMCで>


今年の正月、家でテレビを観ていて寂しかった事がある。
それは、ビートたけしが出ていなかった事。

ツアー中、どういう訳か彼がフライデー編集部に
殴りこみをかけて、
何となく気分が良かった!

<’86ツアーMCで>


俺、髪切ったんだよ!

一昔前はよ、ロングヘアーでよ、サラーと長くて
綺麗な髪だね、綺麗な髪だねって言われて
天使の輪がいつもぐるぐるまわっていて・・・・

寿司屋の兄ちゃんになっちゃった

<’86ツアーMCで>


ライブで自分の持っているだけの
パワーを客にぶつける。
そして、増幅された客のパワーが自分にはねかえってくる。
そのキャッチボールが出来るまで、俺は客を刺激し、
客は俺を試す。
一方通行なんてありえないさ。
いずれにしても、日本のいろんなライブステージの中で
そのキャッチボールが一番うまくできてるのは
俺と俺のファンだよ。
それだけは自信もって言えるね。

<’84頃>