| モントリオール出身の国際的なピアニスト、アレン・ルフェーヴルが同じくモントリオール出身の作曲家アンドレ・マチユの作品を取りあげてベロイのカルチャーセンターでコンサートをした。チケットが発売されてすぐにソウルド・アウトになる人気。 マチユは4歳半で作曲をはじめた神童でカナダのモーツアルトとよばれている。 7歳でモントリオールとパリの名門ホテルで演奏を始め、10歳でNYカーネギーホールにデビュー、アインシュタインに「こんな天才今までに見たことがない」、ラフマニノフに「私よりもすごい天才だ!」と評され19歳で全盛期を迎えた。その後彼の作品を取り上げられることもなく世間から忘れられ、食器の行商をするというドラマティックな人生を送り39歳で幕を閉じた。 アレンは彼の音楽を15歳のときにはじめて聴いてからすっかり魅了され、楽譜を掘り出し研究し、CDに録音し、コンサートで演奏し再びアンドレ・マチユをこの世に送り出した。 彼は舞台へ登場するやいなやアンドレ・マチユについて話し始めた。 200近い作品を残しながら現在残っているのはわずか50曲ほど。 7歳のマチユの作品に「悲しみ」がある。4歳半の頃からこれをひいていたといわれてる。この曲をかかりつけの医師へ献呈しているが、この年でどうしてこれほどの深い悲しみを感じられるのだろう。 一曲一曲について説明をしながらコンサートが進められた。アレンがマチユについて話し始めると目がきらきら輝きだし、いかにマチユの作品を愛し、その素晴らしさを聴衆に伝えたいかがひしひしと伝わってきた。その内容も難しいものではなくアレンのジョークを交えてマチユの人生を興味深く話して聞かせ、聴衆をマチユの世界へと導いてくれた。我々の先祖である天才作曲家の話に満員の聴衆が心ときめかせた。「ワー」「イエス」「オー」とアレンの話に会場の隅々から反応の声がたくさん聞えてきた。彼が「我々の祖先を尊び彼の残してくれたものに感謝したい」と言ったとき会場全員が大きな拍手を送った。このように演奏者と聴衆が一体となって同郷の作曲家が残してくれたものを名誉に思い、喜びを分かち合うコンサートは初めての経験だ。こんな気持ちになれるのは、私もちょっとはケベック人の仲間入りをしてきたのだろうか?マチユが同じケベック州出身の忘れられた神童というドラマもあるがアレンの人柄とマチユに対するあつい情熱が聴衆をぐんぐん引き込んでいくのだろう。 調性がくるくる変わり豊かな色彩感と深い音楽性をもつマチユの作品はギロックと似ている。しかしギロックの楽譜は音数が少なくシンプルで白く見えるがマチユの楽譜は黒く見えるというほどの難曲。これをこなすアレンのピアノ技術と豊かな感性と表現力は目と耳と心を奪った。 アレンの叙情的なオリジナル作品「CARNET DE NOTES」をCDで聞いたとき、なんとロマンティックで繊細な感性の持ち主だろう、きっとソフトな演奏をする人に違いないと思った。しかし今回ライブでマチユの作品の数々を聞いてその色彩の豊かさと歯切れのよいバイタリティーに度肝を抜かれた。 鍵盤に顔を近づけ二つ折りになり言いたいフレーズを強調したり、腰を浮かせてフォルテを出し強い感情を表現したり、野球のバッターのように頭をブルンとふってフレーズのすばやさを出したり、アレンの気持ちが手に取るようによくわかる。かと思えばやさしさ、甘さ、せつなさ、悲しみを表現するときはどこにあの強さが隠されているのかと思うほどデリケートで、その美しいピアニッシモは涙を誘う。 彼のタッチとペダリングの微妙なバランスは美しく面白いサウンドを生み出した。自分のひく音をたいせつに聞いているのがよくわかり、ギロックの「音楽はすべて耳にゆだねられている」という言葉をはっきりと感じた。 コンサートが終わってからロビーはCDにサインを求める人でいっぱいだった。このCDは発売されてすぐに35000枚出るという人気だそうだ。 アレンと直接話す機会を得て、気取らずシンプルでさっぱりとした性格にとっても好感を持った。 「音楽はひく人の心を正直に映し出す。まず心を大きく育てなさい」と教えてくれたギロックの言葉を思い出した。 |

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いつの日かアレンのピアノ演奏とマチユの作品でケベックの音楽を日本でも楽しん でもらえる日が来るように!と強く思った。 2005年4月23日 Hillock www.alainlefevre.com ルフェーヴルのウェヴサイト |