マツジュン版
金田一少年の事件簿・魔術列車殺人事件
2001.7.14 up



01/03/24  金田一少年の事件簿・魔術列車殺人事件

脚本:小原信治
演出:下山天
音楽:土井宏紀
プロデュース:角田朋子、内山雅博
撮影:斑目重友、千葉明律
照明:佐藤忠
美術:中村桂子
選曲:小西善行
アクションディレクター:多賀谷渉
演出補:木村ひさし
演出助手:清水俊吾、丸毛典子、井上雄介
プロデューサー補:古郡真也
協力プロデューサー:櫨山裕子
出演:松本潤、鈴木杏、内藤剛志、井上順、藤井尚之、村井克行、長谷川純、山田まりや、山田優etc
制作協力:オフィスクレッシェンド
関東放送枠:日テレ系・日曜夜9:00〜10:54

(以下の日誌は、3月に放送された「金田一少年の事件簿SP」の感想を、7月になってから書いたものです。当然、記述も7月時点の視点で書かれています)

 いきなり総論

ボク個人としては、それなりに満足できる出来だったんですが、その後、ネットを見たら不満・不評ばっかりだったんで、ちょっとショックを受けました。ボクがショックを受けても意味ないんですけど……、関係者の人たちも、きっとショックを受けたと思います。(^^ゞ もちろん「視聴率的にはキツイかも」という印象もあったので、ある程度は予想していたのですが、どこのサイトを見ても否定派が圧倒的だったので、改めてテレビの難しさを感じてしまいました。

否定派の大部分は堤幸彦−堂本剛版「金田一少年」の支持者だったようです。もちろんボクも旧作は好きでしたが、それはすでに過去の話だし、いまさら堂本版の「金田一少年」を見たいとは思いません。だから、今回のドラマには旧作とはまったく違うものを期待していました。ところが、フタを開けてみたら、旧作のスタイルを律義に継承しながら新しい要素も盛り込むという、かなり欲張りな内容でした。その結果、作品全体の印象〜方向性が不鮮明なっていました。個々の要素を個別に評価するなら、映像にしてもキャラクター設定にしても、それなりに見ごたえがあっただけに、実に惜しいです。(^^ゞ

今回のスタッフの顔ぶれをチェックすると、下山天さん以外は、そのほとんどが「トリック」などに参加していた堤組の人たちです。主だった人たちの名前を挙げるとプロデューサーの内山雅博さん(オフィスクレッシェンド所属)、撮影の斑目重友さん、演出補の木村ひさしさん、演出助手の丸毛典子さん、井上雄介さんなど。また、照明の佐藤忠さんは旧版「金田一少年」のスタッフです。アクションディレクターの多賀谷渉さんは「サイコメトラーEIJI 2」のときに見た覚えのある名前です。――要するに、プロ野球でいえば監督だけが交替したような感じ、自民党でいえば総裁の首だけすげ替えたような感じなんですね。(^_-)

……な〜んてことを書くと、「オフィスクレッシェンドと自民党を一緒にするな!」、「堤さんを森総理にたとえるつもりか!」などと、お叱りの声がいっぱい飛んできそうですが、少なくても、新総理と官僚のような緊張関係はあってもおかしくないと思うわけです。そう考えれば、今回のドラマが堤テイストを引きずっているのは、むしろ当然ともいえるワケです。(^^ゞ

というか、制作サイドとしては、これでもかなり大胆にイメチェンしたつもりなのかもしれませんが、多少、贔屓目に見ても、中途半端だという印象はぬぐえません。(>_<) ネット上の悪評を見ても、新しい部分がちゃんと伝わってはいないようです。やはり、旧作のイメージが強いと、新しい要素が伝わりにくいのかもしれないです。と同時に、旧作のスタイルをバッサリ切り捨てるのはもったいない……、というような迷いもあったのかもしれません。(^^ゞ

 下山天さんとは?

下山天さんは、この春公開された「弟切草」(同時上映「狗神」)の他に、「CUTE」(97年)「イノセントワールド」(98年)といった映画の監督をしていて、フィルムを使わないビデオ派の映像作家として知られています。ちなみに、これらの映画の主要スタッフで今回の「金田一少年」と共通しているのは音楽の土井宏紀さんくらいです。ただし、下山さんはミュージックビデオ出身なので、そちらの方で堤組との接点があるかもしれません。(^^ゞ ミュージックビデオではB'zの「RING」などを手がけています。

なお、下山さんの経歴は以下のサイトに詳しいです。初ドラマは92/7/9の「世にも奇妙な物語・マジシャンのポケット」であるようですが、このドラマの主演が井上順だったりします。この後、フジテレビの深夜ドラマ「La Cuisine」(92〜93年)で5本ほど演出していますが、もちろん、見たことはありません。(^^ゞ このシリーズでは岩井俊二さんも3本を演出しています。
http://www.toho.co.jp/movie-press/otogiri/staff.html

ちなみに、ボクが最初に見た下山さんのドラマは、「木曜の怪談・マリオ」(95年11月)という単発モノで、堂本光一が主演でした。現在ならそれほど過激な映像でもないのですが、当時はかなり強いインパクトを受けました。夜8時台のドラマだったわけですから。(^^ゞ その後、下山さんは映画の方にいってしまったため、プライムタイムのドラマで見かけることは少なかったのですが、テレビ東京やテレビ朝日の深夜ドラマなどでときどき目にしていました。そして、「てっぺん」(99年)「アナザ・ヘヴン」(2000年)あたりから、連ドラに登場するようになって、今回の「マツジュン版・金田一少年」になるわけです。(^^ゞ

蛇足ですが、生後8カ月になる下山天くんという子どもの写真を見つけたので、そちらのアドレスも載せておきます。演出家の下山天さんと同一人物かどうかは、ご自身の目でお確かめください。(笑)
http://www.kyoto-art.ac.jp/~nara/kca/visual/kcavdcp/OB/char/char.html

 旧シリーズのサントラは瞬発力を重視

マツジュン版「金田一」の大きな特徴のひとつが土井宏紀さんの音楽です。一聴すると堂本版の見岳章さんのサントラのパクリっぽく聞こえますが、実はそんな単純な話でもありません。音楽だけ単体で評価するなら、今回の土井さんの方が音楽的なんです。このことを説明するには、まず旧シリーズの音楽を分析する必要があります。

旧シリーズのサントラ盤を持っている人なら分かってもらえると思うのですが、「金田一」のサントラ盤は、音楽作品としてはあまり面白くありません。同じ見岳さんのサントラでも「ハルモニア」とか「モジュレーション(木曜の怪談)」の方が、数段面白いです。なぜかというと、旧サントラ盤の収録曲は、その大半が1〜2分の短い曲で、イントロ十数秒くらいのインパクトだけで成立しているからです。つまり、曲として体をなしていない、音の断片集という感じなんですね。だから、1〜2曲なら面白いんですが、20曲以上も続けて聞かされると確実に飽きます。(^^ゞ――しかし、ここにこそ旧版「金田一」の特徴があるワケです。

もちろん、鑑賞用に向かないことと、劇中音楽としての評価は別です。堤さんが「金田一」のサントラに求めていたのは、瞬間的なインパクト=瞬発力だったんじゃないでしょうか。1時間の間に何人も殺されるようなドラマだから、5秒から10秒くらいの音楽で強いインパクトを与えて次のシーンにパッと切り替わる――というのが、堤さんのプランだったように思います。

これは音楽だけの特徴ではなくて、ドラマ演出全体の特徴でもあったと思います。一言で言うと、「バン! バン! バン!」というリズム感に象徴されるメリハリ感覚です。ボクが思うに、これはチャンバラ映画〜時代劇にそのルーツがあるような気がします。水戸黄門の印篭とか、遠山の金さんの桜吹雪のシーンを思い出してみて下さい。決め台詞があるところも同じです。

時代劇の演出の特徴を指す言葉に「ケレンミ(外連み)」というのがあります。一言でいうなら「ごまかし」とか「はったり」という意味ですが、現実にはありえないようなおおげさな演出のことを指します。「眠狂四郎」とか「鞍馬天狗」など、時代劇はみんな演出がおおげさですが、それがケレンミです。決闘のシーンなどで、両者が切りかかった後、しばらく静止の姿勢が続いてから、片方がバタリと倒れる――なんていう演出のことです。

「金田一」では、謎解きのシーンなどで、登場人物のアップが順番に「バン! バン! バン!」と効果音付きで登場することがありますが、こういうのもケレンミといえるでしょう。つまり、「金田一」の演出というのは、時代劇にかなりの影響を受けているワケで、見岳さんのサントラも“ケレンミ”重視の作りになっています。

 新シリーズのサントラは持続感を重視

これに対して、土井宏紀さんの音楽はハウス的なアプローチが印象に残る出来栄えです。ハウスというのはジワジワと盛り上がっていくタイプの音楽で、持続感が特徴だから、旧シリーズの瞬発力とは正反対です。つまり、こういう音楽を採用した時点で、旧シリーズにあった「バン! バン! バン!」というメリハリ演出を放棄した、と考えるべきなんです。ところが、オンエアでは、そこが不徹底でした。このSPを見て、迫力が足りないと感じたとしたら、その主要因は音楽と演出方法の不一致にあるのだと思います。

しかし、音楽の出来自体は決して悪くはないと思います。金属系の音階打楽器(鉄琴みたいなの)をフィーチャーしたエスノハウス風の曲などはクールなカッコ良さがあるし、犯人連行のシーンで掛かっていた曲には、旧版にはないメランコリックな叙情性がありました。メインテーマのインスト曲にも同じような傾向があって、一聴すると旧版の「bicycle ride」のパクリのように聞こえますが、よく聞くと叙情性が加味されているのがわかります。その証拠(?)に、ラストの桟橋のシーンで掛かっていたメランコリックな曲には、メインテーマと同じメロディが出てきます。――そのまんま、同じメロディのメインテーマでエンドロールになるワケです。(^^)

個人的には、この桟橋のラストシーンが好きなんですが、実は前述した「木曜の怪談・マリオ」を見たときも、夕陽のシーンが強く印象に残りました。どうやら、下山天さんは夕陽〜黄昏時を撮るのが得意みたいです。――音楽の話から、それてきたので、この項はこれで止めましょう。(^_^;)

 序盤:空間演出に対するこだわり

ここからは物語の展開に添って書いてみたいと思います。序盤は、列車のシーンが続きましたが、駅のシーンだけロケで、列車内のシーンはセットだったみたいです。列車の外から映したショットもあったし、手の込んだ殺人現場をロケでセッティングするのは大変なんだと思います。手持ち撮影風のショットが多かったことを含めて、「サイコメトラーEIJI」と「トリック」を足して割ったような印象でした。新味も感じなかったし、事件の事実関係も分かりづらかったです。蟹ツアーがどうのこうのという話も、いまだによく飲み込めていません。(^^ゞ

目的地に到着して、駅の改札口で「残る/残らない」と、もめてるシーンはギャグのセンスが堂本剛とは異質な感じだったので、ちょっとだけ新味を感じました。また、なんだかんだいっても、美雪(鈴木杏)と一緒にいる方を選ぶマツジュン金田一は、ポジティブ・スケベな堂本金田一よりムッツリ系なんですが、描写が中途半端なんで、最初に見たときは、その辺のニュアンスがよく分かりませんでした。

で、次はマリックの死体が登場するシーン。前の項でも書いたのですが、土井さんの音楽と「バン! バン! バン!」という効果音がミスマッチなんで、しっくりきません。また、魔術団のショーのシーンでは、長谷川純が、偉そうに解説している松本潤にツッコミを入れてましたが、これも最初に見たときはよく分かりませんでした。(^^ゞ

しかし、魔術ショーの舞台になった広間の空間演出は、なかなかスケール感があって良かったです。広角レンズを使って、実際よりもかなり広く見せていたのだと思いますが、キリスト教会の聖堂みたいな雰囲気が秀逸でした。特に凄かったのは、村井克行の死体が登場するシーンです。椅子に座っている死体を、舞台の後方から客席に向かって映した広角系のショットがありましたが、画面の構図が、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」みたいになっていて秀逸でした。「最後の晩餐」の遠近法って、背景の位置関係が非現実的だから、マネできるようなシチュエーションを作るのが難しいと思うのですが、ここではそれに成功していました。

この後、同じ広間で、剣持警部(内藤剛志)の尋問(体重を聞く)が始まるのですが、広角レンズを使った引きのカットを多用して、空間の広さを強調していました。ローポジションで後方移動させるカメラワークがメインでしたが、前方移動よりも後方移動の方が、空間の広さが印象に残るということなんでしょう。このシーンでの、もうひとつの見どころは井上順です。彼が吐いたタバコの煙にピントを合わせたまま、カメラが円軌道風にスライド(横移動)していく面白いショットがありました。

空間演出に凝るのは堤幸彦さんの特徴でもあるのですが、それを更に徹底したのがこのシーンだったと思います。しかし、その反面、お芝居や心理描写の部分が分かりづらくなってしまったのも事実です。空間演出にこだわらないで、意味深な表情アップをバンバン入れた方が、物語的には分かりやすかったと思います。(^^ゞ

 中盤:現実的な人間関係を考慮した演技/演出

内藤剛志とケンカして、部屋に戻ろうとするマツジュン金田一を、鈴木杏が追いかけるシーンがありました。このとき、彼女は「あんな言い方したら、刑事さんだって立場がない」と言っていましたが、このセリフは重要です。なぜなら、この批判は過去の堂本金田一にも言えることだからです。

たとえば、堂本金田一は剣持(古尾谷雅人)のことを「おっさん」などと呼んでいましたが、現実世界の常識でいえば、かなり失礼な態度です。つまり、そうした現実的な常識を一切排除することによって、「堂本版金田一少年」の虚構世界は成立していたわけです。詳しいことは知りませんが、原作やアニメ版も同じだと思います。それに対して、鈴木杏のセリフは、人間関係を考慮する視点を「金田一少年」の世界に導入しました。ボク自身は、このセリフを聞いた時点で、「マツジュン版金田一」は、マンガや時代劇じゃなくて青春ドラマ/人間ドラマを志向しているんだと悟りました。(^^ゞ

「マツジュン版金田一」がマンガではないことは、内藤剛志が氷の池に飛び込むシーンにも現れていました。池に飛び込む直前に、一瞬ためらうようなニュアンスをしていましたが、こういう人間味のある演技/演出は、過去の「金田一少年」にはなかったものです。自分のことをコケにしたクソガキを救うために身体を張る――という、人間ドラマ的なエピソードが中盤のメインですが、ドラマ全体の山場もここかもしれません。内藤剛志はテレビ誌の記事で、「2人が和解するシーンが一番好きだ」と発言していました。

実際、松本潤がベッドで目を覚ますシーンは、金田一っぽくない演出で、セリフの間がやたらと長かったです。特に、鈴木杏の無事を確認した松本潤が、内藤剛志に話し掛けるまでの沈黙は60秒くらいあったんじゃないでしょうか。松本潤は「俺はガキだった」と、やけにアッサリと謝ってしまいますが、もし「堂本版金田一」のぶんまで謝っているのだとしたら、これは歴史的な和解/成長ですね。(^^ゞ

そして、この和解の直後に「じっちゃんの名にかけて!」という決め台詞が出てくるのですが、これがちょっとした名シーンでした。決め台詞の後にツッコミを入れてギャグにするという手法は、ときどき見かける手法ですが、ギャグにしないで“ほのぼの風”のオチに持っていくところが斬新です。2人の息遣いとか体温が伝わってくるような感覚は、なかなか得難い貴重な仕上がりだと思います。松本潤が寝ちゃうところを映した一番最後のショットは、アングル的には鈴木杏の目線を模しているのですが、望遠系のレンズを使うことによって、内面をのぞきこんでいるような効果を生んでいました。(^^ゞ

ひとつだけ難を言えば、鈴木杏の寝言の部分はない方が良かったと思います。寝言を言わせることによって、マツジュン&内藤の会話をブレイクさせたいという意図があったんだとは思いますが、ブレイク効果以上に、興醒めしてしまいました。(^_^;)

 終盤:憂いを帯びた湿っぽいテイスト

後半、最初の見どころは、松本潤がひらめくところ。テレビ画面に映った松本潤の顔の向こう側に内藤剛志まで映っていて、そのまま芝居が進行してしまうところに軽いショックを受けました。(^^)

で、列車の中の謎明かしのシーン。いくつかポイントはあるのですが、インパクトがあったのが藤井尚之が犯行を認めるシーン。ちょうど列車がトンネルに突入して、左右の照明が点滅してました。ヨーロッパ映画みたいなエレガントな映像です。さっきの「最後の晩餐」もそうですが、下山天さんの演出は堤さんより上品ですね。堤さんが下品だと言いたいワケじゃないんですけど……。(笑)

斜めアングルからの望遠系アップが多いところや、照明の処理の甘ったるい感じなどは、中江功さんのセンスに近いものを感じました。松本潤を撮ったショットには“憂い”みたいなものがあって、堂本金田一のキリッとした感じとは違っていました。そして、この“憂い”みたいなテイストが、連行される際の「お袋さんは、本当に復讐を望んだのか」というセリフの伏線となるわけです。このシーンは、藤井尚之のスローモーション映像や、メランコリックなBGMと合わせて、新鮮な印象を受けました。2時間物サスペンスにも通じる湿っぽいテイストです。

謎解きのシーンに関しては、松本潤の活舌を問題にする意見もあるようですが、ビデオで何回か聞き返しましたが、何の問題もないと思います。たぶん堂本剛みたいにハキハキしゃべらないことに対して違和感を感じているのだと思いますが、口調の問題と活舌の問題は分けて考えるべきだと思います。そもそも、堂本金田一のしゃべり方っていうのは、時代劇的なケレンミであって、マツジュン金田一はそれをノーマルなスタイルに戻したと考えるべきでしょう。(^^)

 エピローグ:金田一少年は正しいか?

遊園地での炎上シーンはパスして、ラストの刑務所のシーン。このシーンは逆光系の照明の調節がメチャクチャていねいで、ホコリっぽい空気感には、鶴橋康夫さん(「永遠の仔」「リミット」など)に通じるテイストも感じました。松本潤が面会室に向かう際に、内藤剛志と目で会話(?)をするようなシーンがありましたが、この直後に内藤剛志が紙切れみたいなものを取り出して見つめます。殺された友人(魔術師)のチラシか何かだと思いますが、こうした一連の演技/演出にも人間ドラマ的な志向性が感じられます。ただし、これも分かりづらくて、最初に見たときは気がつきませんでした。

松本潤が、犯人の藤井尚之を怒鳴りつけて椅子を蹴っ飛ばすシーンにも、違和感を感じる人が多かったみたいですが、ボクは面白いと思いました。このシーンが暴力的に見える人というのは、マツジュン金田一というキャラクターの解釈がボクとは違っているのでしょう。先の「お袋さんは、本当に復讐を望んだのか」もそうですが、マツジュン金田一には堂本金田一にはない“湿っぽさ”とか“女々しさ”があります。犯人の前で、熱っぽく正義を説くのが堂本金田一だとするなら、犯人の前で、心の動揺を隠せないのがマツジュン金田一の持ち味です。

……な〜んて書くと、ボクが一方的に堂本金田一を過小評価しているように見えるかもしれませんが、実は、堤幸彦さん自身も『トリック・完全マニュアル』(光進社)で同じようなことを言っているので、ちょっと紹介しておきます。「例えば金田一一と七瀬美雪は正しき青少年像としてはあるけれど、実は全然正しくない。死ぬほど死体を見てるワケですよ、しかも惨殺死体を。1回につき4人くらいの死体を見て慣れまくって冷静に見てるって…ねぇ(笑)」――それに対して、死体を見てキャーッと言ってる「トリック」の仲間由紀恵は紛れもなく善人だ、と。(^^)

死体を見て冷静なのはマツジュン金田一も同じですが、彼は犯人の前では冷静でいられません。犯人の動機を知ったときに自分の価値観(正義感)が揺らいでしまうワケです。この意味で、マツジュン金田一は堂本金田一よりも善人だといえます。「マツジュン版金田一少年」の新しさとは、この種のリアリティ志向にあるんだと思います。

……このSPを見て、ボクが思い出したのは、ボク自身が金田一少年というキャラクターを好きではなかったことです。金田一少年が偉そうに犯人に説教しているのを見て、「こんなガキが実在したら嫌だろうな」と思ったことがあるし、同じ堂本剛なら「若葉のころ」や「セカンドチャンス」の方が良い――なんて思いながら見ていました。(^^)

ドラマの話に戻ります。松本潤に怒鳴られた後、藤井尚之の回想映像が桟橋のラストシーンにオーバーラップしていきます。音楽の項でも書きましたが、この黄昏の桟橋のシーンはなかなか味わい深いシーンです。しかも、松本潤と鈴木杏の間に交わされる会話は、ちょっぴり哲学的だったりします。(^^) 議題は「月日が経てば人間は変わるのか」です。これは再会した松本潤のことを指していると同時に、犯人の藤井尚之の問題も含んでいる問いです。ドラマの裏テーマだとも言えます。ただし、これも説明不足なのは明らかで、非常に分かりづらいです。ひょっとしたら、尺の関係でオリジナルの脚本から、人間ドラマの部分がかなりカットされているのかもしれません。

「マツジュン版」に対して批判的な人たちというのは、こうした青春ドラマ/人間ドラマ的な部分について、まったくといっていいほどコメントしていません。気がついていないのか、気がついていてもあえて無視しているのか分かりません。ドラマの感想は人それぞれですが、批判としてはちょっと公正さに欠けるような気がします。

 その他、蛇足的な話題etc

結論的なことは最初に書いてしまったので、最後に、蛇足的な話をいくつか書いておきます。まずは、ネット上でのリアクションについて。放送後、いくつかのドラマ系サイトを見てまわったのですが、とにかく悪評が多かったです。「アニメ版・金田一」の公式サイトにも辛辣な感想がどっさり書き込まれていました。連ドラの公式サイト管理者は、これから3カ月は胃が痛いことでしょう。(^^ゞ ミステリー系のサイトなども見てみましたが、ドラマ系ほどじゃないにしても評判は良くなかったです。ただ「金田一耕助の孫だというのが鬱陶しいという気持ちは分かるかも」なんて意見もありました。さすがに嵐のファンサイトでは悪評は少なかったですが、そこでもいくつか悪評がありました。なんか悲惨です。

こうしたネット上の悪評は、制作サイドにもかなりの波紋を呼んだのでしょう。制作発表が遅かった理由もその辺にあるような気がします。松本潤もテレビ誌で「連ドラ化のために努力してくれた人たちに感謝してる」とか「いろいろと納得がいかないことがあったので、オンエアは見なかった」などと発言していますが、これらもネットでの悪評と無関係ではないのでしょう。(^^ゞ 松本潤に限らず、関係者はなかりショックだったんだと思います。堂本剛が「自分が信じた金田一少年を貫け」なんてエールを送ってるのも、ネットでの悪評を意識しているとしか思えません。(^_^;)

悪評以外の感想を求めて、嵐のファンサイトも2〜3チェックしたのですが、その際にいくつか面白い情報を入手しました。それによると、松本潤は銀色夏生の大ファンだそうです。(@_@) ちょっと勘弁してほしい……っていう感じでしょう。ボクの知っている範囲では、銀色夏生が好きな男は1人もいませんが、女の子に関してはみんなバカばっかりです。(笑) 銀色夏生以外では山本文緒が好きらしいのですが、この人のことはよく知りません。(^_^;) ――それに比べると桜井翔はセンスいいですね。m-floの大ファンだそうです。

ところで、旧シリーズの主題歌だったKinKi Kidsの「Kissからはじまるミステリー」の歌詞に「恋はミステリー 夏の風は 心騒ぎを奏でるクレッシェンド」という一節が出てくるのですが、これって、オフィスクレッシェンドのことを意識して、わざと使った言葉なんでしょうか。作詞は松本隆です。(^_^;)

13日夕方に放映された番宣を見ました。ちょこっとだけオンエアされたタイトルバックがえらくカッコイイです。これだけでも録画保存する価値はありそうです。番組内では堂本剛が出てきて、「昔風の少年を演じるのが大変だった」と発言していたと思ったら、下山天さんが出てきて「今度の金田一は現代風の少年で、犯人を最後まで“さん”付けで呼ぶ」などと言っていました。裏で打ち合わせしてるとしか思えない発言ですね。まあ、新しい「金田一少年」のイメージを印象づけたいという気持ちはよく分かります。

――いずれにしても、ドラマに限らずどんなジャンルでも、新しいものが生まれる瞬間とか過程というのが一番面白いんです。その意味では下山天−松本潤の「金田一少年」は、スリリングな可能性を秘めた作品です。(^_^;)

――以上。お終いです。長々読んで下さって、ありがとうございます。
連ドラの日誌に、つづく。


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