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天国の大吉とその後の私
その日、大吉が天国に旅立った春の日、 日差しが柔らかくて、とてもいい日のように錯覚すらしそうな日。 あれから、ずいぶん経ちました。 いつかは、大吉のペットロスという状態をここに書こうと思って、 伸ばし伸ばしにしてきました。 伸ばし伸ばしにしてきた気持ち、 それを書こうと思います。
大吉が天国に旅立ったとき、私は子供を産んでまもなくでした。 それより前、大吉の状態が日に日に悪くなっていくのを、 新生児を抱え、また難産の後遺症で歩くのもつらい状態の私には なすすべがありませんでした。 大吉の介護を主にしていたのは、私の両親、そして私の妹で、 その介護はいつかまた書こうと思っていますが、 想像以上に難儀なことでした。 生まれたばかりの私の子と、見るからに弱ってしまった大吉を 一緒に写真に収めることを躊躇して、 結局、一枚も残せませんでした。
その時、大吉が旅立ったとき、私は入浴中で、その瞬間には立ち会えませんでした。 また立ち会えませんでした。 以前に飼っていたケンという犬も間に合いませんでした。 あわてて、そばに行ったとき、まだ大吉は暖かかった。 そして、そこにはものすごい気丈な私がいました。 赤ん坊を抱えて、野性本能、母性本能の強く出ていたらしい私は、 そこで自分がつぶれてしまうことを、無意識に防ごうとして 閉めてしまったようです。感情を。 「ガシャン」 今思い起こすと、音がしそうなくらい、強く。
ぼろぼろなき続ける母、横たわるばかりの大吉、暖かい日差し。 遠くにいる妹に連絡を取り、帰宅できる時間を聞き、 それから、大吉のなきがらをどうするか、父と話合いました。 土曜日だったので、子供は休日の夫が見てくれました。 「こっちは心配しないで、できるだけのことをしてあげな」と こんなときも、そして、それまでもずっと、 夫は私と大吉を大切にしてくれました。
ケンの時、公共の火葬場だったので、そこを使うつもりでしたが、あいにく土曜日、 翌日も日曜なので空いていません。 電話帳で数件に問い合わせて、ペットの火葬をしてくれるところを探し、 妹の帰宅が夜になるため、翌日にお願いすることに。 それまで、どうしておいたらいいか、聞きました。 なるべく冷やせるといいのですが、といわれましたが、 やはりまだ温かみが残る大吉に、氷を当てるのは忍びなく・・・
そして、家族みんなでさよならをしました。
翌日、大吉はつれていかれました。 お骨は引き取りませんでした。私がそう言いました。 ケンのも残っていません。 お骨に向かって泣きたくなかった、まだ信じられなかった、 モノになってしまいそうで嫌だった・・・ いろいろ理由はあったとおもいます。 ペットだから、というのも理由のひとつかもしれません。 そう言い聞かせてるのかもしれません。 よくわかりません。
大吉が居なくなりました。 しばらくは、帰宅しても大吉が飛びついてこないのが不思議で、 大吉が寝そべっていた場所を見ても、何もないのが痛くて、 ヒリヒリする日々でした。
それから、の日々は
赤ん坊は小さいときに、あさっての方向に向かって、 にっこり笑ったり話しかけたりすることがありますが、 そういうとき、私は 「大吉が来てるの?もし来ているなら、よろしく言って。 たまには私にもわかるように来てって言っといて」 と子供に話てみることもあったり、私もそちらを見て、笑ったりしていました。 重い気持ちじゃなくて、なんか、そうだったらいいな、と気楽に思っていただけですが。
一年とすこし経ったころ、 ふと育児が楽になってきた気がしてきたころ。 私の閉めていた感情が開きました。いきなり、どっと。 泣きました。 大吉が行ってしまった日は、一滴も涙を流さなかったのに。 泣き忘れていました。 そのとき、初めて、閉めていたことにも気がついたわけです。
そして、遅れすぎた私のペットロス症候群は、 町中の犬たちと、その飼い主を見ることが 悔しくて、うらやましくて、嫉妬ゆえに目をそらしてしまう、 という、屈折した形で現れました。 「いぬなび」の閉鎖も考えました。 掲示板に書き込みもできないし、更新作業もままならないことに、自分を責め、 また、犬についての話をするのも、きつかったので、やめようかと思ったのです。 しかし、夫が、 「いぬなびが、すこしでも誰かを救っているかもしれないから、 手のかからない形にして、そのまま続けてみたらどうかな」 と言ってくれ、そのように手入れをしてくれました。
今、一年半たちました。 犬たち、飼い主さんたち、うらやまくやしいです。 でも、歩いている犬たちに、にっこりしています。 「いいなぁ」と口に出して言っています。 子供に「わんわんだよ、かわいいね。ママはわんわんが大好きなのよ」と言っています。 大吉の写真が、いつでも目に入ります。子供にも「大吉だよ」と話します。 夫と、「大吉は元気かな、会いたいなぁ」 「ああ、どうせ向こうで、バクバクたべて、グーグー寝てるね」 「できれば、せめてあと二年、三年、子供が大吉を覚えていられるときまで、 それが無理でもあと一年、子供と一緒に遊べる今頃まで生きていてほしかったね」 と、話しています。
いろいろ事情があって、今は次の犬を飼いません。飼えません。 本当は、飼いたい。 前にも書きましたが、すぐ次の犬を飼うほうが私はいろいろと良いように思います。 飼い主さんの心のためにも、そのほうが楽しいとおもいます。 それに、やっぱり 犬を飼うことはすごく素敵だし、命の大切さ、やさしさ、慈しみ 計算とか駆け引きとかがまったく関係ない愛情を深く学ぶことができる。 なにより、暖かくて、やわらかくて、かしこくて、やさしい犬と 惜しみなく愛情のやり取りができる素敵さ。 子供にも、経験させたいです。いつか、させるつもりです。 私もまた味わいたいです。
それと、私の育児に、 大吉とケンを育て、一緒に暮らした日々が生きています。 もうすぐ2歳の子供は、だんだん大吉に近くなっています。 知能、記憶力、行動力、言葉の理解力。 感情、愛情。 とにかくうれしくなってしまって走り回っているさま。 こまかい表情、座って、タッチして、こぼしながらも一人でご飯を食べて。 よく、犬は人間の2〜3歳ぐらいだ、と聞きますが、まさにそうだな、とおもいます。 もちろん、すべてが当てはまるわけじゃないですが。 そんな子供を見ながら、また私と夫は言うわけです。 「大吉と一緒に遊ばせてみたかったな」
たしかに残念ですが、 そんなことを言いながら、私たちは、にっこり笑っています。 大吉は「思い出」になってきたのかもしれません。こんなにたくさんの時間を経て。 時間という慰めによって ゆっくり、ゆっくり。 でも、まだ飛びついてきそうに思います。そこにいそうです。 あたたかくて、やわらかい感触、匂い、そこにいるかのようによみがえります。
ペットロス後一年半の私はこんな感じです。 そして、犬ってやっぱり素敵ですよね。 私は犬が大好きです。
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